AFV車両図鑑

AD大戦略より ”MAP1 Case White”

(左:I号戦車B型 奥:I号戦車A型 右:Pzkpfw35(t)

 

 

I号戦車A型 (前期型)

全長:4.02m  全幅:2.06m  車体重量:5.4t  最高速度:37km/h

最大装甲厚:13mm  武装:7.92mm機銃×2 乗員:2名

 

第一次大戦の敗北によりドイツは軍備縮小を余儀なくされた。しかし軍事技術を維持する為「農業用トラクター」の名称で密かに戦車の開発生産が行われていた。これが後にI号戦車の基本車体となった。これを基に1934年9月、7.92mm機銃二丁を砲塔に搭載し、I号戦車A型として誕生。A型は訓練用車両として使用されていたため、399月の段階で全ての戦車部隊に配備されていたが、スペイン内戦で火力・装甲ともに非力さを露呈していた。やがて足回りを改良したB型が現れる。

 

II号戦車G

全長:4.81m  全幅:2.28m  車体重量:9.5t  最高速度:40km/h

最大装甲厚:14.5mm  武装:20mm機関砲×1  7.92mm機銃×1

 

19399月ドイツの電撃作戦の主役となったのが、このII号戦車である。後のドイツの主力戦車、III号、IV号戦車の完成の遅れを補うために開発されたII号戦車はスペイン戦争で明らかになったI号戦車の欠点を補い、その軽快な機動性は当時のドイツ陸軍の戦車用法に十分活用されて大戦初期の華々しい勝利の主役にふさわしい活躍をしたのである。I号戦車で最大の問題であった貧弱な武装を補うため20mm対空機関砲を車載化して装備することとなった。対ポーランド戦において徹鋼弾と榴弾の両方を発射できる機関砲はそれなりの威力を発揮したが防御力に関しては弱点を露呈し装甲強化が繰り返された。II号戦車はa1型からL型にいたるまでに実に多くの種類が生産され大戦中期まで活躍した。

III号戦車L型

全長:5.38m  全幅:2.91m  車体重量:21.5t 最高速度:40km/h

最大装甲厚:50mm 武装:60口径50mm砲×1 7.92mm機銃×1

 

第二次大戦の初めからドイツ戦車部隊の中核となったIII号戦車だが、戦いの進展によって強化が重ねられた中で最も完成されたタイプとされるのがL型である。主砲に長砲身50mm砲を装備し、車体前面や主砲防盾に増加装甲を加えて防御力を強化。19426月から653輌が生産され、戦車連隊の一翼を担ってタイガーIなど新型戦車と共にソビエトでの戦いや北アフリカでの戦いに活躍した。

 

IV号戦車D型 初期タイプ

全長:5.92m  全幅:2.84m  車体重量:20t  最高速度:42km/h

最大装甲厚:30mm  武装:24口径75mm砲×1 7.92mm機銃×1

 

ほぼ大戦の全期間にわたって活躍し最も多数が生産されてドイツ軍の軍馬とまで言われたのがIV号戦車シリーズである。その初期型を代表するタイプが1938年から生産されたD型である。主砲は火力支援を象徴するかのような短砲身24口径75mm砲を回転砲塔に搭載。装甲は車体前面及び砲塔前面が30mm、エンジンは出力300馬力のマイバッハV型12気筒12000ccを装備して42km/hの最高速度を誇り当時の欧州各国の戦車やアメリカ戦車に比べて格段にすぐれた機動力、攻撃力を持つ第一級の戦車と高く評価された。

 

V号戦車 パンター中戦車G型 初期生産型

全長:8.86m 全幅:3.4m 車体重量:45.5t  最高速度:46km/h

最大装甲厚:110mm  武装:70口径75mm砲×1 7.92mm機銃×2

 

圧倒的な性能をもつソビエトのT-34戦車に対する回答として1943年に送りだされたのがV号戦車パンターである。G型はそれまでのD型、A型を改良し1944年3月から生産に入っている。傾斜した装甲を持つ車体に700馬力を発生するマイバッハHL-230エンジンを搭載し強力な長砲身の75mm砲を装備。攻撃力、機動力のバランスのとれていたパンターは共に戦ったドイツ軍兵士だけではなく、対戦した連合軍兵士からも第二次大戦最良の戦車といわれた。

 

IV号戦車 ティーガーI重戦車 中期生産型

全長:8.45m  全幅:3.7m  車体重量:57t  最高速度:38km/h

最大装甲厚:100mm  武装:56口径88mm砲×1 7.92mm機銃×2

 

強力な破壊力と高い防御力で連合軍を震え上がらせたドイツの重戦車がタイガーI型である。最大で100mmという強固な装甲を備え2000mの距離から100mmの装甲版を貫通できる56口径88mm砲は、ほとんどの連合軍戦車を撃破可能。防御戦では1輌でシャーマン戦車5輌に匹敵すると言われる高い戦闘力を発揮した。中期生産型は1943年7月から始まりペリスコープ付きの新型キューポラの装備など戦訓を活かした改良が施されている。これらは1944年1月までに約470輌を生産。ヨーロッパのあらゆる戦線で戦ったのである。

Sd.kfz.222 四輪装甲偵察車 B型

全長:4.8m 全幅:1.95m 車体重量:4.7t 最高速度:90km/h

最大装甲厚:14.5mm  武装:20mm高射機関砲38(Kwk38) ×1 7.92mm機銃×1

 

第二次大戦中、ドイツは多くの装甲車を使いましたが、小型の4輪装甲車の中で最も活躍したのがSdkfz222です。鳥かごのようなカバーがついたオープントップの旋回砲塔に20mm機関砲と7.92mm機銃を装備、最高速度は90km/h、4輪独立懸架、4輪駆動、ステアリングは前2輪または4輪に切り替えできるという高度なシャシーを持ち優れた路外性能を発揮して、大戦の初めから終わりまで各地の戦場で偵察任務などに多数が活躍しました。 B型はそれまでのA型の3020mm戦車砲に換えて高射機関砲Flak-38を地上用に改造したKwk38を搭載し、地上戦とともに対空戦用の性能を併せ持たせたものです。

IV号対空戦車 ヴィルベルヴィント20mm4連射高射砲38

全長:5.92m 全幅:2.9m 車体重量:22t 最高速度:38km/h

最大装甲厚:80mm 武装:20mm4連装高射機関砲×1 7.92mm機銃×1

 

ドイツ語で「つむじ風」を意味するヴィルベルヴィントはドイツ軍の軍馬と呼ばれたIV号戦車をベースに改造した対空戦車です。大戦後半、制空権が連合軍にわたり空からの攻撃がドイツ戦車部隊の脅威となったためIV号J型のシャーシを流用、「地獄の4連装」とそのすさまじい威力を連合軍パイロットから恐れられた4連装20mm対空機関砲Flak38を搭載したヴィルベルベントが開発された。それまでの対空戦車は戦闘中の射撃員の防御が無に等しいという大きな欠陥があったが、本車がオープントップながら厚さ16mmの装甲版による回転砲塔を持っていたことは大きな改良で、最も成功したIV号対空戦車と言われ、大戦の終わりまで活躍しました。量産は1944年後半から始められ、総生産台数は105台と記録されています。

軌上重装甲偵察車 ドライジーネ歩兵戦闘車

全長:??m  全幅:??m  車体重量:??t  最高速度:40km/h(自走時)

最大装甲厚:??mm  武装:7.92mm機銃×6

 

1943年、頭部戦線ではドイツ軍の生命線とも言える鉄道線路があちこちでパルチザンの脅威に晒され続けていました。彼らは神出鬼没で完全掃討が難しく、有効なのは装甲列車による線路の巡回くらいでした。しかし本格的な装甲列車は数も限られ機関車以外の単独車両では行動できないため、小回りの利くパトロール・偵察用の軌上装甲車が開発されました。これらは数両から十数量が連結されて住偵察走行列車として東部戦線や×間戦線の鉄道に配備されました。軌上歩兵戦闘車は重偵察装甲列車の車両で、前後左右に機関銃6丁を装備した歩兵戦闘用の車両です。基本的には装甲列車として連結して運用されましたが、スタイヤー製76馬力のエンジンを備えて単独でも40km/hで走行することができました。

ルノーUE630(f)歩兵用牽引車45mm対戦車自走砲

全長:2.7m   全幅:1.7m  車体重量:2.0t  最高速度:30km/h

最大装甲厚:??mm  武装:45mm対戦車砲×1

 

UE6301931年フランスのルノー社によって開発生産され、1936年からはAMX社も生産に加わり6000輌以上が量産された歩兵牽引車です。1940年にフランスを占領したドイツ軍はこれを鹵獲して改造を加え弾薬運搬車や軽索引車など様々な用途に利用しました。本車は車体後部に独軍45mm対戦車砲Pak??を搭載し対戦車自走砲に改造した車体です。フランスの頭文字を取って(f)の形式名が付けられています。

Sd.Kfz.250/1 le SPW 軽装甲兵員車アルテ

全長:4.56m 全幅:1.95m  車体重量:5.38t 最高速度:60km/h

最大装甲厚:10mm  武装:MG34 7.92mm重機関銃×2 乗員:2名+4名搭乗

 

ドイツ軍は様々なハーフトラック形式の装甲戦闘車両を開発しました。本車は新たに創設された機構師団の自動車化偵察大隊に所属する歩兵に高い戦場機動力を与えることを目的に開発された兵器です。SdKfz2501t牽引車のシャーシをベースにデマーグ社を主体に1939年から開発が始まりました。乗車する歩兵は半個分隊4名の斥候の最小単位です。武装は車両固有の物としてMG34または42機関銃1挺、乗車歩兵用として同じ機関銃1挺を装備します。乗車歩兵用機銃は車体後部のマウントにつけることもできました。本車は194310月により完成されたノイにバトンタッチするまで機甲師団の捜索大隊軽機甲偵察大隊に配備されました。この小柄でタフなアルテ(古強者)は大戦初期のドイツ陸軍の前衛として戦場を縦横に疾駆したのです。

35(t)式戦車

全長:4.9m 全幅:2.14m  車体重量:10.5t 最高速度:35km/h

最大装甲厚:25mm  武装:40口径37mm砲×1 7.92mm機関銃×2 乗員:3〜4名

 

35(t)式戦車はオリジナルは1935年に開発されたチェコスロバキアのスコダ社のLT vz35軽戦車です。ドイツの侵攻に備えて準備されながら皮肉なことに優秀な設計だったことでドイツがチェコを併合した際にドイツ軍に取りこまれ改造されて35(t)式戦車として制式化されました。本車はドイツ軍の2号戦車並みの大きさの軽戦車ながら装甲や攻撃力はドイツ軍の主力中戦車III号戦車に匹敵し、製造が遅れていたIII号戦車に変わり大戦初期のポーランド戦、フランス戦、ロシア戦線にて活躍しました。全長はII号戦車と同等ながら全幅はI号戦車程度で非常に細長い印象の軽戦車です。

 

 

38(t)戦車G型

全長:4.56m 全幅:2.15m 車体重量: 10.4t 最大速度: 42kmh
装甲厚:850mm 武装:48.7口径3.7cm戦車砲KwK38(t)×1 (90発) 7.92mm機関銃MG37(t)×2 (2,700発) 乗員:4名 航続距離: 210km

1939年、ドイツがチェコを併合した結果、大きな工業力を手にすることとなった。チェコは中央ヨーロッパ有数の工業国であったからだ。戦車の分野では、35t38tという2種類の戦車とその工場がドイツの支配下に入った。35t38tとはそれぞれ1935年型と1938年型を、tはチェコ製を意味する。この両戦車はドイツの装甲部隊の貴重な戦力となり、ポーランド戦、フランス戦、初期の対ソ連戦で一翼をになった。

3号戦車に匹敵した実力
当時ドイツでは主力戦車として位置づけられていた3号戦車の開発が遅れて期待された数がそろわなかった。このため、1940年のフランス侵攻作戦時、35t38tは主力戦車の3号戦車と同等の位置づけで、車体の大きさは両戦車とも約910トンと2号戦車とほぼ同じであったが、搭載砲は2号戦車の20mm砲に対して37mm砲で3号戦車と同じで、攻撃力についてはほぼ同規模であったようだ。

自走砲などへ改修された38t
ソ連のT34KV1が登場したとき、37mm砲は対戦車戦闘には無力となった。ドイツ軍では4号戦車の長砲身化、新型のパンサーやタイガーの開発が進められたが、その一方で、2号戦車や38tの車台に、鹵獲したソ連の76mm対戦車砲やドイツ製の75mm対戦車砲を搭載して自走砲化する方法で火力の増強が行われた。38tの車台を使用したものとしては、ソビエト製の76.2mmPaK(r)を搭載したマーダー3、ドイツ製の75mmPaK40を搭載したマーダー3H型とM型がある。さらに1944年には防御力を高めて駆逐戦車化したヘッツァーも生産された。また、38tの車台を利用した車両としては、150mm歩兵砲sIG3を搭載したグリーレH型とK型、4輪装甲車と同じ20mm機関砲を装備した砲塔を載せた偵察タイプなどもある。これだけの長期間にわたって、多様の車両を生み出したのは、特筆すべきことであり、38t戦車の優秀性を物語っているようだ

 

38(t)戦車G型は、38(t)戦車シリーズの最終生産型で、各部の簡略化が図られ、ボルトの数が大きく減少しており戦闘室全面の装甲が平板になっている。さらに、ノテックライトが車体左側上面に移動しているので識別はたやすい。
また、車体リア・パネルに設けられているエンジン強制始動用クランク棒差込口にカバーが付いたが、同様に、誘導輪の位置を調節する回転装置にもカバーが新設された。

G
型の生産は194110月より始まり、19426月までに321両が完成したが、これは、38(t)戦車シリーズ中最多の生産型でもあった。
これに加えて、176両分の車台も生産されたが、これは、ソ連軍から捕獲した76.2mm師団砲F-22を備えるマルダーIII対戦車自走砲に用いられている。
なお、38(t)戦車G型の車体製造番号は11011600である。

38(t)
戦車G型は、主として東部戦線で使用された。
しかし、すでにかなり旧式化しており、主力戦車として使用するのは困難であった。
それでもドイツ軍では、以後もかなりの数の38(t)戦車が保有されており、19449月の段階でも、まだ229両が現役車両として登録されていた。
ただし、これらは主として二線級の部隊や保安部隊、装甲列車部隊などで使用されていたようである。

40-75/18セモベンテ・イタリア軍鹵獲自走砲

SCENE14

I号戦車B

SCENE15

ズベズダ社製

Ton half-track DEMAG D7 (sd.kfz.10)

SCENE16イタリアESCI社製模型

全長:4.75m 全高:1.62m 全幅:1.84m 車体重量: 4.9t 最大速度: 40kmh
装甲厚:− 武装:− 乗員:2+6名 

 兵員輸送と軽野砲の牽引を目的とする1トンハーフトラック(SdKfz10)は、ドイツ軍の装備したハーフトラック群の中では最も小型な部類に入ります。開発は1932年からデマーク社によって行われ、フロントエンジン方式で牽引力1トン、乗員2名、搭載人員6名の能力を持つハーフトラックとして開発が進められました。試作車開発のあと1939年に制式採用が決まり、1944年までに5つの製造会社で合計約15,000輌が生産されました。
 大戦中に使用されたのはD7型で、重量4.9トン、エンジンはマイバッハ社製HL42100hp)とし、最高速度40km/hを出せました。
 なおSdKfz10のバリエーションとして、高射砲を搭載したタイプがあります。また車体は、ドイツ軍の装甲ハーフトラックとしてもっともポピュラーなSdKfz250のベースともなりました。
 

ポーランド軍 豆戦車TKS

SCENE17ポーランドRPM社製模型

全長:2.56m  全幅:1.76m 全高:1.33m重量:2.65t 最大速度:40km/h

最大装甲厚:10mm武装:オチキス7.92mm/wz.25×1 弾薬2000発 乗員:2名

 

第2次大戦の口開けとなった1939年のドイツのポーランド侵攻に際し、これを迎え撃ったポーランド陸軍の、数量的には主力AFVと言えるのがTK豆戦車シリーズである。
 開戦時、TKシリーズは主に11個の装甲(偵察)大隊(豆戦車1個中隊13両、その他装甲車8両)、15個の独立偵察中隊(豆戦車各13両)、2個機械化旅団(豆戦車各26両)などに配属され、基本的には機銃1丁、軽装甲の偵察用車両だが、ごく少数の20mm砲装備型は、ドイツ戦車に対する数少ない対抗力として活躍した。

1934年に生産が開始されたTKSの量産型。
 軍の登録車両ナンバーはNo.1492-15941597-16821702-17641799-1814。このほかに、シャーシナンバー8890-8910(途中抜けがある可能性あり)が、登録番号無し。生産数は390両、280両、250両と、資料によってずいぶんまちまちだが、上記番号を足すと、280両説が最も近い。
 なお、この数字には、20mm砲装備型を含む。

 試作型との違いは、武装がTK-3までと同様オチキス7.92mm/wz.25を装備していることだが、その他にもヒンジ形状など、細部ディテールに僅かの差がある。エンジンはポルスキ・フィアット122AC42hp)、もしくは同BC45hp)を搭載する。

 車長側(つまり武装側)天井には、後に7TP軽戦車(単砲塔型)に使われたものと同様の回転式ペリスコープが装着されているが、これは後にイギリスでMk.4ペリスコープとしてライセンス生産されてイギリス戦車の標準的な装備品となり、さらにはそれがソ連でも作られて、T-34ISスターリンでも使われた、ポーランド発の隠れた「ヒット作」となっている。

 1939年戦役の後、ドイツ軍では鹵獲したTKSを警備車両や、機銃を外して牽引車として数十両が使用されたらしい。また、実際に使用したものか、あるいはドイツ軍車両を使ったプロパガンダ写真かはよくわからないが、クロアチア兵が搭乗して並んだTKSの写真もある。

 さらに、ポーランド戦終結直前、国境を越えてハンガリーに逃れた7両のTKSが同軍に接収されている。

7TP 37ミリ砲塔型

SCENE18 ポーランド ミラージュ社製模型

 

 

 

 

以上.