国県市指定
下 館 の 文 化 財 Part2.
A 県指定文化財
伊佐城跡 (史 跡) 指定月日 昭和10年11月26日
市街地より北へ約2km、東は勤行川に接し、西は一面の水田が開ける中館の台地に伊佐城跡を築いた。
現在の城跡は二の丸跡といわれ、観音寺境内になっている。城跡のおもかげは勤行川崖に残すのみである。
伊佐城は、藤原実宗が、天永2年常陸介に任命され、伊佐荘中村に居住した。
5代目の朝宗は、頼朝の奥州征討に功をたて奥羽伊達郡を与えられ、伊達郡に移り伊達氏を名のり、仙石65万国の伊達家の祖となった。長男為宗と3男資綱は伊佐に残り、伊佐氏をなのって伊佐荘に拠ったが、師冬の軍と戦い落城し、以後廃墟となった。
観音寺本堂裏には伊達行朝廟があり、客殿前には伊佐城跡の碑がある。
●所在地 下館市中館522。 所有者 観音寺。
B 県指定文化財
久下田城跡 (史 跡) 指定月日 昭和20年9月4日
市街地を北へ約5km、栃木県二宮町に境し大字樋口字城山一帯が城跡であったが、往時は二宮町の台を含み規模が大きかった。
天文14年第6代下館城主であった水谷出羽守政村は、宇都宮氏の来襲にそなえて往時藤原魚名の築いた公家営(栃木県二宮町)の上館の跡に築城、下館の岐城とし、自ら生牛城と命名した。
政村は、下館の本城を弟の勝俊にゆずり主として北の守りを固めた。
寛永16年第8代勝隆が備中国成羽(岡山県成羽町)に移封後 廃城となった。
C 県指定文化財
板谷波山先生生家 (史 跡) 指定月日 昭和40年5月21日
木造瓦葺平屋建1棟及び庭園、6畳2間と3畳の間に1坪の玄関と3坪の台所がついている。
天井裏が一部物置となっている。旧座敷2間は江戸時代中期建築のもの、現存する座敷は先生生誕の部屋である。
板谷家は田町通りに面して醤油醸造を営んでいた旧家である。
建物、土地は財団法人波山先生記念会に移管された。
波山先生は我が国陶芸界の第一人者、芸術院会員、文化勲章受章、茨城県名誉県民、下館市名誉市民、昭和38年10月没(92才)。
●所在地 下館市田町甲866の1。 所有者 財団法人波山先生記念会。
板谷波山記念館
生家、庭園、工房、展示館などを整備しています。