小林一茶略伝

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継子一茶


 小林一茶の人生は家庭的に不遇なものであった。「一人一茶」・「継子(ままこ)一茶」は彼の売り物にもなっているが、一茶においてはそれを売り物にしてもおかしくない不遇というべきか・・・。

生   誕


  宝暦十三年 (1763)、信州長野の 柏原村 という村で中百姓の子として生まれた 一茶 は、 三歳で実の母と死別する
 その後、八歳の時には 継母 がやってくるのだが、この継母と一茶の仲はよいものではなかったらしい。
  異母弟 が生まれ、その子守で大小便にまみれ、ちょっとでも赤子が泣こうものなら 「わざと泣かしたのだろう」と責められる。
 近所の子ども達は母のない一茶を何かと囃し立てる。

  「親のない子はどこでも知れる。
    爪をくわえて門に立つ」と・・・。

 いきおい一茶はあまり他の子と遊ぶこともなく、ともすると、畑の薪の蔭に 隠れて、一日を過ごすような、 孤独な子ども となっていったらしい。
 彼を庇護してくれたのは、 祖母の「かな」 であるが、その「かな」も一茶十四歳の年に亡くなり、一茶と継母の不和は どうしようもない所にまで及ぶ。

江戸奉公-俳諧の宗匠に


 一茶は十五歳の時、 江戸に奉公 に出されることになる。
 一茶自身の書いたものによると、継母との不仲を父がいたわしく思ったのが、 その理由だという。外に出せば継母とて恋しく思うようになるかもしれぬ という親心で、泣く泣く江戸へ荒奉公に出したのだというが、これは貧しい農村の 口減らしの意味もあった のかもしれない。
 江戸へ出た一茶は、その日暮らしの荒奉公を何年も続ける、厳しい生活に 耐えなければならなかったのだろう。そして、どういう経緯を経てかは分からないが、 やがて俳諧の道で頭角を現し、「信濃国俳諧寺一茶」 「乞食首領一茶」 などと名乗り始めるのである。

遺産相続問題のもつれ


  諸国を旅し 、そこそこ名を上げ、久しぶりに故郷に戻った三十九歳の一茶に、不幸はまだ 襲い来る。一茶の目の前で、なすびの苗に水をやっていた 父が倒れる のである。
 「傷寒」という今で言えばチフスの一種らしい、父はその後 一ヶ月ほど 病の床に付した後、 亡くなってしまう 。そしてその後、十二年間に及ぶ 遺産相続問題 のもつれが、継母・異母弟と一茶の間に起こるのである。

 一茶は江戸に戻るが、自分の相続権を主張し、父の遺産の折半を強硬に主張する。
 継母や義弟からすれば、江戸に出て俳諧の宗匠として そこそこ食えている ものが、なぜそんな要求をするのか、しかも父の遺産とは言え、その大半は 自分達が父とともに守り増やしてきたものである、要求には応じかねる、という 言い分だったのであろう。
 この相続問題はこじれにこじれ、しかも折半の折り合いがついた後、一茶は 自分の相続分の家と田畑を継母達が勝手に使っていたのだからと、その 使用料 まで要求している。

 すべての問題が解決し、江戸での生活を清算し、 故郷に戻った のはすでに一茶五十一歳のことだった。

再び故郷へ-SimGさん


 このサイト制作者(つまり私)が「SimGさん」として紹介している一茶は、遺産相続問題にも 決着がつき、江戸から故郷へ戻った後の一茶の姿を想定している。
 一茶に束の間の幸福が訪れた貴重な時期で、この時期、一茶は初めて 結婚 し(二十八歳の妻である)、子どもまでもうけることになる。
 信濃の国に一茶人脈を築きつつあった彼は、金銭的にも、家庭的にも、生涯で 最も幸福な時期を送ったのであろう。

子供の夭折・妻との死別


 しかし一茶の人生にさらに不幸は続き、一人目の妻、「きく」との間には三 男一女をもうけるが、その四人ともが夭折するのである。

 短いところでは生後一ヶ月で亡くなった 長男「千太郎」
 長いところでは 『おらが春』 の主要モチーフとなった 長女「さと」 。この子は一年間を生きた後、 「痘(いも)の神に見込まれ」 て(痘瘡である)、幼い命を落としている。

  次男の石太郎は三ヶ月の命妻の「きく」 も、その後、痛風がもとで三十七歳の短い生涯を閉じている。

 むごい話だが、妻の死前後、 三男「金三郎」 は人手に預けられ、乳を飲まされずに骨と皮に痩せ衰える。養育費欲しさに 乳の出ない娘を乳母にしたてた「富右衛門」という男の仕業だが、この事件が影 響したのか、「金三郎」は母の死と同年、やはり亡くなっている。

終焉-土蔵の中で


 一茶自身も中風で寝たきりになることもあった。 二人目の妻 ももらうが、これは気性が合わなかったか、あるいは妻の方で、 失禁までする 老齢の夫に嫌気がさしたか、二ヶ月で離縁となっている。 三人目の妻「やを」 は連れ子を持って嫁いで来たが、この「やを」との間に子どもを授かり、こ の子だけがその後、順調に成長している。
 しかし、一茶はその成長はおろか誕生さえ見てはいない。

 一茶六十五歳の夏六月、柏原村に 大火 が起こり、一茶の家もその被害を被り、一茶は以後、焼け残りの土蔵に住む を余儀なくされる。その同年十一月、 一茶は没し遺腹の娘「やた」 が誕生したのはその翌年、四月のことであったのだ。


 こうして一茶の生涯は終わる・・・


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