タイトル 夢の終わり
内容(参照)
「るーみっくわーるどスペシャル 人魚の傷」より
初出掲載誌 週刊少年サンデー 1988年23号
発行元 小学館
単行本 るーみっくわーるどスペシャル 人魚の傷


<解説>

 「人魚シリーズ」としては、珍しく1回読み切りの作品で、読み応えという点では、若干物足りないという感じもするが、この年の読み切り作品は、妙に意味深なものを見せている。

 この作品が発表されたのは、ゴールデンウィークの頃だが、同時期にビッグコミックオリジナルには「鉢の中」が描かれ、「らんま1/2」には五寸釘が登場していた。

 「暗い」、「重い」、「やりきれない」といった雰囲気…。そして、ときどきわけがわからなくなって暴れてしまう大眼。義母のやり方に、ついに爆発した利根川さんの奥さん。嫌いな猫に追いつめられて、自らを猫化して暴れ回った乱馬…。「言葉が通じない状態」という似通った図式が、ほぼ同時期に集中して見られたのは、ただの偶然なのだろうか?

 この作品のタイトルは「夢の終わり」だ。確かに、なりそこないになってからの大眼の人生は悪夢そのものだったということなのかもしれない。しかし、作品全体の流れからは、ラストの「夢は終わった」という台詞へのつながりが、ちょっと唐突なもののように思えるのだ。なぜ、「夢」なのか?なぜ、真魚は「夢は終わった」と語りかけているのだろう?

 ここで対応が気になるのが、この年のはじめに発売された「少年サンデーグラフィック・スペシャル劇場用アニメ[うる星やつら]完結篇ボーイミーツガール」に掲載されたインタビューの中での「うる星やつら」とファンに関する言葉だ。「でも、週刊連載が終わって1年近くたつから、そろそろみんな夢から醒めてもいい頃じゃないかなーと。」という一節…。

 実際、「うる星やつら」終わり、「らんま1/2」が始まっても、まだみんな「うる星」、「うる星」と言っているという状況はあった。つまり、夢は終わったはずなのに、みんな「うる星やつら」という夢から醒めようとせず、現実(「らんま1/2」)を見つめようとしない状況だ…。そう考えるならば、あえてここできっちりと「夢は終わったのだ」と言うことには意味がある。

 果たして、そんな意味が込められているのかどうかは不明だ。しかし、この年の夏に描かれた「1ポンドの福音」でも「夢」というキーワードが出てくる。こうなってくると、これらの対応がまったくの偶然とは思えなくなってくるのだが、さて…。


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