タイトル | 約束の明日 |
内容(参照) | 「るーみっくわーるどスペシャル 人魚の傷」より |
初出掲載誌 | 週刊少年サンデー 1990年45号、46号 |
発行元 | 小学館 |
単行本 | るーみっくわーるどスペシャル 人魚の傷 |
<解説>
人魚の灰の言い伝え。その裏伝説に語られた比丘尼同様に、人魚の灰の力によって蘇らされた苗は、魂のない悪鬼となってしまったのか?人魚の灰の裏伝説を知りながら、「魂がなければ自分の思いのままにできる」と苗を蘇らせた許婚の英二郎…。その自己中心的な考え方は、やはり非難されるべきものだろうか?
この何らかのかたちで死者を蘇らせるという図式は、のちに「舎利姫」でも描かれており、非常に意味深なものを含んでいるように思える。好きだから、愛しいから、愛する者を蘇らせたいという気持ち…。それは、過去の好きな作品の復活を願うファンの気持ちを象徴する図式ともなりえる。
蘇った苗は、完全な悪鬼となったわけではなかった。完全に魂を失うということはなかった。しかし、人魚の灰の効き目が切れて、もとの死体に戻ってしまうのだ。
ここで、苗が再び死んだこと、そして今度は湧太の腕の中でやすらかな気持ちで眠りについたことを描くことによって、「蘇らせたい」という気持ちに対する1つの回答を示したと見ることもできよう。
結局、永遠の命を、死んでも生き返り続けなければならない宿命を持つ湧太は、時とともに死を迎える人々とは生きることも死ぬことも一緒にしてやれない。それは作品ごとに固有に存在するファンのために、ずっとその作品を描きつづけて行くわけにも行かない高橋先生の立場とダブる。
湧太がともに生きて行ける相手は、結局のところ真魚だけだ。つまり、時とともに死を迎えることなく、死んでも同じように生き返ってくる者だけなのだ。つらい現実だか、その辺のことをわかって欲しいという感じがこの作品から伺えるような気がする。