タイトル | 人魚の傷 |
内容(参照) | 「るーみっくわーるどスペシャル 人魚の傷」より |
初出掲載誌 | 週刊少年サンデー 1992年5号、6号 |
発行元 | 小学館 |
単行本 | るーみっくわーるどスペシャル 人魚の傷 |
<解説>
ここまでの「人魚シリーズ」の中でも、最も強烈な悪役を演じたのが、この「人魚の傷」の真人だと言えよう。子供の姿でありながら、無表情で冷徹な台詞を吐くだけに、余計にそら恐ろしさを感じさせるキャラであった。
前半部では、一見、悪役に見えた母親とその母親に虐待されているかに見えた真人の立場が、一気に逆転する構成も見事だったが、そこからとことん悪い奴のように描かれて行った真人が、最後にチラリと人間らしい心の残っている様を見せた部分は、印象に残るところであった。
作品中、湧太の首が落とされそうになったとき、真魚は真人に向かって叫ぶ。「一生かかって追いつめて、おまえの首をとってやる。」と…。そうするしかない…。真魚にとって湧太を失ったら、そうするしか生きて行く目的が、理由がないということだろう。逆に言えば、真魚にとって、湧太とともにいることが生きて行く目的、理由となっているということだ。
この言葉に、それまでずっと無表情だった真人が目を見張るような微妙な表情の変化を見せいてるところが、1つのポイントと言えよう。つまり、真人にとって生きて行く目的、理由とは何か?これ以上生き続けることに目的や理由があるのかということだ。
これまで、生活をともにしてきた女は、生きて行くための道具と割り切っていたようにも思える。しかし、この直後、戦後ずっとともに暮らしてきた女が本当に死んでしまったことを知ったとき、恐らくは涙をぬぐったのであろう仕草は、この真魚の言葉によって、生きて行く目的や理由となりうるパートナーとしての存在を初めて意識したからではないかとも受け取れる。
真人は、去り際に「生きてたらまた会おうぜ。」と言った。これは、この場だけをみると「真魚たちが生きていたら」という意味だけに見えるのだが、トラックと正面衝突したと思われるときの表情や、そのあとの「生き返ったらまた誰か捜すさ。」という言葉と合わせてみると、意味深な言葉になっている。
つまり、トラックとの正面衝突は、真人自身、覚悟の上の自殺行為だったのではないかという見方ができるのだ。もし、それでも生きていたら、生き返ったらという意味が、それらの台詞に込められていたのではないたろうか…。