タイトル | 百年の恋 |
内容(参照) | 「高橋留美子傑作集 Pの悲劇」より |
初出掲載誌 | ビッグコミックオリジナル 1993年4号 |
発行元 | 小学館 |
単行本 | 高橋留美子傑作集 Pの悲劇 |
<解説>
掲載前に一旦出された予告とは、タイトルも(恐らくは)内容も異なっての登場となった何やらいわくありげな作品である。
当初の予告では、「おばあちゃんの堪忍袋」というタイトルが示され、おばあちゃんが(恐らくは念動力で)ちゃぶ台をひっくり返している予告カットが掲載されていた。これを見る限り、「百年の恋」とは念動力の部分程度しか一致するるものが見当たらない。この内容変更に関しては、「時計坂通信第6号」(1993年4月1日発行・時計坂通信社)にビッグコミックオリジナル編集部の説明が掲載されている。
さて、内容がガラっと変わって登場した「百年の恋」は、一旦死んだおばあちゃんが、崖から転落しかけた若者を救うために超能力を身につけて生き返ってきたという話だ。
生き返ったりさおばあちゃんは、若い頃、自分のせいで身投げさせてしまった(と思い込んでる)若者・与三郎にそっくりな(と、思い出を美化して混同している)高根沢を、与三郎と同じ目に遭わすまいとして行動する。そして実際、(身投げではなかったが)崖から転落しかけた高根沢を救うことになる。この「転落しかけた若者を救った(いや、転落を防いだと言うべきか…)」という図式が、何やら意味深なのだ。
そもそも冒頭で、一旦死んだりさおばあちゃんが、生き返ってきたところからして意味深だ。この頃、「らんま1/2」は「麝香王朝編」の真っ只中で、乱馬とハーブの壮絶なバトルが繰り広げられていた。「麝香王朝編」は長さや設定の大きさ、バトルの壮絶さ、いずれをとっても最終シリーズとなってもおかしくないものを持っており、もしかしたらという気を抱かせた作品だったが、結局、「らんま」はその後も続いて行った。
この辺の図式が、このりさおばあちゃんの蘇生に投影されているように思えるのだ。つまり、一旦終わらせようと思ったけれども、何らかの理由があって復活(継続)することになったのではないかという…。それが、「若者が転落するのを防ぐため」というわけだ。もっとも、転落は転落でも、別の意味での「転落」だが…。それは、「麝香王朝編」に続いた「らんま1/2」のシリーズが「ひな子先生登場編」であったところに大いに関係が見出せるのだ。
ひな子先生には、「美少女戦士セーラームーン」を象徴する記号が描き込まれている。登場編からしてそうだったが、個人教授編では、うさぎの財布、なかよしマンション、三日月模様のバスタオル、玄関のドアの上にもうさぎのマークなど、これでもかというほどに意味深な記号が出てきていた。ということは…、そう、この時期、「セーラームーン」に転落しかけている若者が多数存在していたわけだ。
1992年3月からアニメの放送が開始された「美少女戦士セーラームーン」は、同人関係から火がつき、1992年冬のコミックマーケット43では当時の晴海会場においてコミケの花道的な存在であった新館1Fの中央をほぼ独占するまでになっていた。一方、この年の夏までは、ピークを過ぎたとはいえ、この新館1Fに80のサークルを並べていた留美子系は、その数が激減してB館に追いやられるかたちとなった。
かつては、「うる星やつら」で多くの若者を転落させた記憶がある高橋先生だが、そのときと似たような状況に、ある意味でいやな予感がしたのかもしれない。つまり、この時期に「らんま」を完結させて半年からのブランクを置いてしまったら、その間に多くのファンが「セーラームーン」の方にコロコロと転がり落ちて行ってしまうんじゃないかという危機感だ。
そんな考え方をすると、りさおばあちゃんの立場が、妙に高橋先生の立場に対応しているように思えて面白い。りさおばあちゃんが一旦死んで、すぐに蘇生したのが1992年12月14日。ちょうど、コミックマーケット43のカタログが発売されて間もない頃なのだ。(笑)
表面上の感動的なストーリーもいい。しかし、それに合わせてこういう読み方もできてしまうところがまたこの作品の面白いところだ。