GANSAN'S ボランティア日記

1.私がボランティア活動をすることになったきっかけ。
 平成4年(1992年)の10月に、友人”まいける(仮名)”の友人の”わんわん(仮名)”から誘われたのがきっかけです。活動といっても、毎月二千円を投資する会員になっただけです。いや、当初、毎月千円の会員でした。当時、その千円すら非常に渋ってました。車を買ったばかりで毎月のガソリン代にびっくりしてた、というのもありましたが、そんなこと(世界中にある飢餓と、それを終わらせること)は自分とは関係ない、別世界の出来事だと思っていたからです。更に、自分が一生懸命働けば、会社も儲かる→会社が社会貢献に目を向ける→飢餓が無くなっていく、という「風が吹けば桶屋が儲かる」的な、なんとも無責任な理屈もありました。最初は、毎月千円払うところから始まりました。いろんなところ(特に相互リンクしてくださってるハンガー・フリー・ワールド絡みの方々)で、こっぱずかしい紹介をしてくださってますが、最初はこんなもんです。

2.私がハンガー・フリー・ワールドの活動を選択した理由。
 世の中の数あるボランティア団体の中で、私に「活動せんね?」とアプローチしてきたのがハンガー・フリー・ワールドでした。世の中、案外言ったもん勝ちかもしれませんよ。しかし、ハンガー・フリー・ワールドは、果たして安い買い物をしたのでしょうか?

3.私がお「金を出すだけ」以外の活動で、初めてやったこと。
 私が「お金を出す」以外で始めてやった、ボランティアの活動は、平成5年(1993年)にケニア大使館で開かれた「アフリカ賞受賞者発表会」に出席することでした。でも参加費はかかってました。正確な金額は忘れましたが、数千円だったと思います。「最寄りの駅は自由が丘(東急電鉄)」ということだけを覚えて自由が丘駅に降り立ち、初めてゆっくりパンフレットを見ました。「....結構、遠くないか?」 実際15分位歩きました。生まれて初めて大使館という場所に入りました。黒人の方がいました。当時の僕は外国嫌いでしたので、黒人だろうが白人だろうが日本人でなければダメでした。 そうそう、なぜ、ここに来ることになったか?ということですが、ハンガー・フリー・ワールドのスタッフで、後に理事長もやることになる方に誘われたからです。 この会の詳しい内容は、もう覚えてません。一つだけ覚えてることは、この時、初めてGYC議長に会いました。私をここへ誘った方に、紹介してもらいました。が、あまり楽しそうな表情では無い人でした。しかし、「冷たい」とか「恐い」とか「堅い」等の印象は無く、どちらかというと、非常にソフトで人当たりの良い印象がありました。「女子校に通う高校生」という素性とは連携してない感じがしてました。

4.私が佐野元春さんと会ったこと。
 3で少し出てきましたが、アフリカ賞授賞式に行った時にお会いしました。非常に物腰の柔らかい方で、「腰の低い兄ちゃん」という印象でした。このアフリカ賞授賞式のパンフレットにサインを貰いました。

5.とりあえず“5”としておきます。私がスタディーツァーに参加したこと。
 1997年に、ハンガー・フリー・ワールドのスタディーツァーに参加しました。なんで参加したか?というと、ハンガー・フリー・ワールドの活動説明会をリードしたりしてるのに、支援先を実際に見たことがなかったので、自分のこの目で見てみたい、と思ったからです。ニューヨーク経由で、セネガルとガーナに行きました。私にとって、初めての海外旅行でした。普段は日記なんか書かないのですが、ツーリングに行ったときは、だいたい書きます。このスタディーツァーでも、なぜか日記を書いてしまいました。実際には、あまりにも書きたいことが多くて、その日の内に書ききれなかったので、日記とは言わないのかもしれません。一部の方々にお見せしたところ、なかなか受けが良かったので、本siteにて公開することにしました。人名はできる限りごまかしてます。あくまでも個人的な日記なので、言動について深く追求しないでくださいね。 結局のところ、スタディーツァーは、良かったです。費用は結構かかりましたが、使ったお金以上の見返りがあった気がしてます。また、行きたいです。あの場所がどうなったか?あの人は何をしているか?が気になります。


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