金華山の由来

この山は、古くは稲葉山(因幡山とも)呼ばれており、金華山という呼び方になったのはは明治以降のようです。また、一石山・岐山という名もあると解説されていますが、現在、地元では金華山としか言いません。また、金華山というのはお城のある山のことで、金華山ドライブウェイのある方は金華山には含めないで「上加納山」とか「水道山」とか言うのが普通です。

稲葉山の名は、現在は麓にある「伊奈波神社」が以前は「因幡権現」として山頂に祠られていたらしいので、そこから由来するものでしょう。この神社の祭神は遠い昔、この地方の蝦夷を平らげた功績のある神だそうで、因幡の国の出なのかもしれません。また、岐阜・加納地区は以前「稲葉郡」で、稲葉というのはこの地方の総称でもあったようです。現在も稲羽という地名が各務原市に残っています。岐阜の古い名前は井の口だそうですが、これはなばいりくちということかもしれません。

金華山という名は、この山に多いどんぐり(ツブラジイ)の花が初夏に一斉に開花する様を眺めた粋人(一説には織田信長といわれるが根拠は怪しい)が「金の花咲く山」→金華山と呼んだものが、なかなか佳名であるためお役所の気に入られて使用されるようになったものだという説に説得力があります。確かに5月下旬ころの晴れた日には、北側から見ると金色に輝いて見えるといえば見えるかもしれません。金華山というのは他に宮城県の牡鹿半島の先の島にあるのが有名ですが、この他福井県武生市にも金華山というのがあり、四国の坂出市の金山という山も金華山ということもあるそうです。武生市の金華山の由来も、やはりどんぐりの花で金色になるところから来ているようです。

ツブラジイの花
ツブラジイの花

もうひとつ、岐阜の街の中に金神社という社があります。ここは伊奈波神社と対になる女神が祭られていて、4月の例祭には伊奈波神社から出た御輿の御旅所ともなります。これも金華山の由来に関係あるのかもしれませんが、今のところ勉強不足で不詳です。明治初期の神仏分離の時はかなり無茶苦茶やったみたいですので、金華山という名前から伊奈波神社と関連がある無名の宗教施設を金神社と名付けたに過ぎないのかもしれません。

一石山というのは、おそらくこの山が岩石の塊から出来ていて、あたかもひとつの岩のように感じられるところから来ていると思われます。まあ、この名前はそういうのもある、というだけで、普通に使われてはいません。岐阜土産のお菓子で一石山という丸い羊羹みたいなのが売られていますが、これくらいでしょうか。一石山にはこんな話もあります。道楽息子が反省のため旅に出て、陸奥(宮城)の金華山まで行った。このことを証明するため石を持ち帰った。親に「金華山まで行った」と見せたが、親は信用せずにその石を投げ捨てた。ところが翌日、その石は大きな山になっていた。このため一石山あるいは金華山というのだと。まあ、これは金華山という名が定着したあとに誰かが思い付いた創作でしょう。

岐山というのも、岐山高校という高校の名前に使われているくらいですが、これには興味深い由来があります。岐阜という地名の由来は、天下統一にふさわしい名前として、織田信長によって沢彦宗恩という僧が漢籍から作成した3案「岐阜・岐山・岐陽」から岐阜が採用されたという話が一般に流布していますが、これは後世の創作で本当は昔からぎふ(義婦)と呼ばれていた、という説やら一書やらがあります。岐阜の由来は「きぶき山」(厳しい山)から来ていて、金華山の急峻な姿からそう呼ばれ、その後、山を「岐山」、麓の里を「岐阜」と言うようになったということです。ちょっと苦しいような気がしますが、もしこれが本当なら岐阜という地名は金華山に依存しているということですね。ちなみに、もうひとつのボツになった岐陽というのも岐陽高校という岐阜市のはずれにある県立高校の名前に使われています。この学校、10年くらい前に修学旅行で体罰致死事件を起こしてしまい全国に有名になりました。

金華山
金色に見えるかな?ツブラジイ満開の金華山


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