鶴女房

誰でも知っている有名なお話です。
このお話を語られた美甘寅一さんは明治35年12月生まれの方で、
採話されたのがだいたい1966,67年頃のことだそうです。


  かし、むかしある所へ、与吉という大変親孝行な働き者のええ青年がおったそうです。
それが、毎日汗水ぅたらいて一所懸命で、おふくろといっしょに仕事をして、野らあ、お母さんといっしょに楽しゅうに帰えりょった わけです。
そして仕事い飽かずい来る日も来る日も、少々降ってもどうでも、山へ行って働いて買えりょうった。村の評判者になって
「あれは孝行与吉だ」いうて人へ言われるようなええ青年だったそうな。
「おおかたあれにゃあええ嫁が来るだろう」いうような村の人の話もあるしして、そういうことにゃぁ別に気にかけずい、与吉ゃあ自分のためへ母のためへ、一所懸命で汗水たらいて、忠実い仕事をしょった。
  ころが、ある日のこと、山から帰りょったら、大変きれいなこれまでに見たこともない17、8ぐらいなきれいな娘が、道ばたに 倒れて腹あかかえて、えらい苦しそうにしておったいうて。そえで、その与吉が、はあどういうわけだろうか、この辺で見かけんきれいな 娘だがなあ思うたけえど、男が女のそばへ寄るいうことも、どうもいけんので、
「お婆さん、お婆さん、きれいな娘がえらそうなけえ、ちょっと聞いてみたらええ」
いうて、言うところが、そのお婆さんが、
「うん、そりゃあまあ女にゃあ女づれがええけえ、わしが聞いてみたろう」
そえから、
「これこれ、どこの娘さんかしらんけえどなあ、大変苦しそうなが、どがあなことならえ」
いうて言うたら、
「わしゃあ、さっきからここを通りかけて、腹が痛うて、なんぼうにもこう腹あひきつけて動けん。ちょっとも歩けんようになって、ように 困っとる」
いうて言うた。
「ふんそうか、それならかわいそうに。ここは薬もないけえ、ほんなら良うなるまで、家い泊まらんか。療養したるけえ」
いうて、お婆さんも言うし、そえで歩きかけてもどうも足が立たん。それで仕方がないので、恥ずかしいようでも与吉がそのきれいな娘を負うて、 自分の家へすたすた帰って来て、そえで、お婆さんが毎日看病してやる。与吉は仕事に行くしなあ。
  てしよったら、まあ10日ぐらいたったら、その娘が「ちいと気持ちがええ」 いうて言いだいてなあ。そえで十日も経ち二十日も経ちしたら、今度あ、ご飯の火ぐらいは焚くようになってなあ、
そえで、お婆さんが仕事へ行っとっても、与吉が仕事い行っとっても、帰って見りゃあちゃんとご飯を炊き、湯も沸かしして、良え具合にしてあるいうて。
 

語り手:八束村上在所 美甘寅一
蒜山盆地の昔話 (稲田浩二 福田 晃 編) (株)三弥井書店  より