私がもう30年継続していることにサッカーがあります。
1969年に30歳過ぎの全くの素人の男が青山キッカースでサッカーを始めたのでした。
まだ今のようにサッカーブームがほど遠い時代でした。
ソ連のサッカーボール、ドイツつのサッカーボールなど海外出張の折りのお土産はボールでした。
熟年のサッカーを通じて多くの友人ができました。
海外遠征にも参加しました。サッカー仲間は世界中に居ります。
世界の人との話題も増えました。
全くの素人が楽しむ真の市民スポーツとしてのサッカーの草分けが我が青山キッカースの活動です。


青山キッカースの紹介

青山キッカースHP



誕生までの道のり:

青山キッカースは全くのサッカー未経験者達から構成されて設立された純粋のクラブチームである。
その母体は東京世田谷にある東京学芸大学付属世田ヶ谷小学校のPTAの集まりである。

1968年2月当時付属の教諭であった石野氏と上田氏が市民スポーツの重要性と年輩者達の
ツバイターウエッグ(第二の道)の実現のため父親達のサッカークラブの設立につぃて話し合ったのが
このクラブができたきっかけとなった。
同年6月には青山会サッカークラブとして発足。ちなみに参加者は先生9名、父兄7名であった。

歴史


年目    年                         主   な   出   来   事                      
1968 青山会サッカークラブの誕生
2 1969 クラブ名青山キッカーズと改めマークを制定。ゴールデンワッペン第一号山口氏へ。
低中高の3チームで対戦。
3 1970 バッジとユニフォームを制定。ジュニアチームの発足。独サッカー協会ハンセン副会長来場。
NHKテレビに紹介される。第一回秋の大会。組別対抗始まる。
4 1971 国会議員の来訪続く。NETテレビに出演。モーニングキャンプ。ユースキャンプ。夏期合宿。
5 1972 背番号の制定。69番まで。対外試合用ユニフォーム作成。5年誌編集委員会、会則検討委員会発足。
6 1973 三宅さん逝去。シュート板作成。ペナントレース始まる。破傷風予防接種。読売新聞の取材。
7 1974 会員100名を突破。壮年体力テストの実施。
8 1975 クラブ歌の作成。会費値上げ3,000円に。
9 1976 青山バザーに参加。おみこし、ヨーヨー、金魚売り。組間トレード制始まる。
10 1977 10周年記念誌編集、記念フェスティバル開催。会費4,000円に。
11 1978 創立10周年記念行事開催。記念誌の配布。
12 1979 会費5,000円に。
13 1980 会費7,000円に。夏期合宿も10回目となる。
14 1981 会費6,000円に値下げ。15周年記念行事準備会発足。
15 1982 クラブ旗新調。背番号の見直し。120番まで。
16 1983 創立15周年記念行事開催。香港遠征。山本氏逝去。
17 1984 会費10,000円に。青山倶楽部の発足。
18 1985 青山賞制定。金崎氏に贈られる。
19 1986 審判員認定講習会の実施。34名が4級審判員へ。
20 1987 新ユニフォーム。背番号改訂。20周年記念シンガポール遠征。
21 1988 シュート板改修。
22 1989
23 1990
24 1991
25 1992 25周年記念記念行事
26 1993 25周年記念ドイツ遠征。極めて文化的遠征とか
27 1994
28 1995
29 1996 シニアリーグ発足。シニア戦は<死にアせん>と発音
30 1997 イタリア遠征、Diamond Players Clubの発足
31 1998 30周年記念式典



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