| つれづれに 2001. 9月
歴史が証明している。 テロが悪であることは、言うまでもありません。先日のアメリカからのニュース映像に戦慄を覚えるとともに、それを引き起こした人々に対する、憎悪の念がわき起こりました。被害者、及びその家族や知人の方々には、心からお悔やみを申し上げたいと思います。 あの映像を見た直後は、「報復」という言葉に、つい理解を示したくなってしまいましたが、本当に理解していいのでしょうか。 日本は国際社会において、成熟していないと言われます。そう言われれば思い当たる節はいくつもありますが、今のアメリカの状況を見ていると、やはり、成熟していないじゃないかと思います。武力で攻撃され、(確かに卑劣な手段によりますが)それに対して即武力で報復しようとしているようでは、理性ある大人の行為とは思えません。
湾岸戦争で、多額な資金を出したにも関わらず、国際世論から批判されたのは、ただ単に血を流さなかったからでしょうか。私はそうは思いません。日本の政治家がただ口先だけアメリカにしっぽを振り、自分たちの哲学を持っていなかったからだと思います。 日本は「日本国憲法」という世界にも誇れる憲法を持っています。そこには駄文だとは思いますが、平和な世界を目指す崇高な理念が述べられています。その理念を振りかざして外交を行うことは、何ら恥ずべきことではなく、そのために血は流さないとなれば、国際世論も簡単に批判することはできません。 日本政府は、これまで憲法の理念をあまりにも無視した言動を行ってきました。そのために、今更それを振りかざすことさえできなくなってしまいました。「憲法の範囲内で」などと姑息なことを言って、憲法の理念を無視していると、ただアメリカの腰巾着になっていると、今度もまた国際社会が日本に向ける視線がどんなものになるかは目に見えています。
あのような暴力的なテロに対して、日本国憲法の理念はきれいごとだと言われそうな気がします。確かにきれいごとだと思います。でも、誰もきれいごとを言わなくなったらどうなるのでしょう。ヒステリーになっているアメリカに対して、あるいは国際世論に対して、水をぶっかける役も必要です。日本がその水かけ役を本気になってすれば、あるいは(譲って)、本気になってしながら、同盟国として何らかの援助をするならば、国際的に批判されたり孤立したりすることはないでしょう。 きれいごとを言う国がなければ、この世の中から戦争の悲劇は永久に無くなることはありません。
9月21日のニュースステーションに登場した、内閣官房副長官の安倍氏の言葉には、はっきり言ってあきれてしまいました。「ビンラディン氏関与の証拠はアメリカに求めないのか」の問いに対して、安倍氏は「同盟国(アメリカ)がそう(ビンラディン氏が関与していると)言っているからそうなのだろうと推測する」と答えました。 横にいるアナウンサーも首を傾げていましたが、こんな論理だから日本は馬鹿にされるのでしょう。武力行使をしない(他の「同盟国」とは一線を画す)日本は、証拠を求めていない他国に追随したやり方では、筋が通りません。 私はアメリカという国には基本的に好意を感じていますが、好意を感じているからこそ過ちをして欲しくない。「間違いを犯した友人には、きちんと自分の考えを伝えるのが本当の友達」と子どもには教えています。 |