自分の名を変え、新たな人生を北海道で送った伝蔵は、どのような気持ちで日々を過ごしていたのでしょうか。事件の首魁が極刑を受ける中、自分だけが生き延びたことに対する悔恨でしょうか。それとも、少しでも生き延びて、博徒の暴動と誹謗された事件の、真の姿を後世に伝えようとしたのでしょうか。
どうやら伝蔵の本心は後者のようでした。潜伏中も政治には関心を示し、立ち会い演説会ではヤジを飛ばして警官に咎められたこともあるそうです。真相をうち明けた時、長男には事件の「鑑定」を頼んでいます。この長男の話を元に、釧路新聞は「秩父颪」として、伝蔵の生涯を連載しました。伝蔵は、自分が生き延びることで、志を果たせずに刑場の露と消えていった仲間たちの、無念を晴らそうとしたのでしょう。 |
|
|