山ん姥の餅つき

「牛方と山姥」(山姥と馬子どん)のお話は全国的に有名ですが、この「山姥の餅つき」のお話はあまり広まっていないようです。珍しいかも知れませんので載せてみます。
 このお話の山姥は、良いやまんばのようです。


  むかしあるところへ、ものすごう(たいそう)貧乏な家があって、もう百姓をしてもなあ、お上に取り上げられてしまうんで、その収めを出えたら、もう食べる物がねえようになる。せえでもう、正月が来ても、どうしょうもねえなあ、餅(を)つこういうても、餅米(が)なあけえなあ。(ないからなあ)
「今年ぁ餅米なしに、粟(あわ)ができとるけえ、粟餅をつくじゃ。」いうて、
「ほんならそうしよう」
いうて、せえから、その爺さんが、
「わしらぁみとような(私たちのように)子のねえ者ぁなあ、粟餅ぅ、一臼(ひとうす)ついてなあ、そして、まあ正月ぅしたことにするか」
「ほんならそうしよう」
いうて、せえからまあ、婆さんと二人で粟ぁついて、コッツン、コッツンついて、粟餅ぅこしらえるいうて粟ぁ浸(か)いといて、へえから
「これから餅ぅつこう」
いようたら、
「昼ぁ、ふうが悪いけえ(外見が悪いから)つかれんけえ、正月餅に粟餅ぅつくいやあ、人が笑うけえ、夜さりぃ(晩に)つこう。」

 「夜さりぃなったけえ、粟餅つこう」
いうて、そのお爺さんとお婆さんと、うむいて、これからつくいうて臼へ入れたところへ、
「こんばんは、こんばんは」
いうて、外から、
「寒いけえ、通りがかりの者じゃがちょっと開けてくれえ。温まらしてくれえ、もう死ぬるほど寒い。」
いうて、せえから開けたら、古い古い、よぼよぼになった汚げな白頭の婆さんがおって、せえから入らしてやったら、その火の残りがあるのにあたって、
「ここなぁ、粟ぁつくんか。粟餅じゃなあ」
いうて
「わしゃ、まあ、粟餅がものすごう好きじゃ」
いうて、たった一臼はきゃぁ(しか)ねえのに言うんじゃ。
「そうかな、うちなぁ、貧乏じゃけえなあ、恥ずかしい話じゃけえどもが、どうも餅米がねえんでなあ、粟餅ぅつきょうります。近所へいうてつかあさんなよ。ざまが悪いけえ。」
「うん、わしぁ言いもどねえもしやせん。わしぁ、あの、米の餅たあ、粟餅が好きじゃ」
いうて、
「わしぁ、大好きじゃ」
いうもんじゃけえ、へえでそういってまあ、

  「ほんなら、てごぅ(手伝い)したげる。」
いうて、よぼよぼの汚いお婆さんじゃ思うたのが、腰がしゃんとのって(伸びて)からに、元気そうにして、その上手に餅ぅ、杵取りぅしてくれて、そしたら、不思議になあ、たった一臼、ちいとばっかりありあいを(ありあわせを)つきょうたら、その婆さんが手返ししたら増えて、もう臼いっぺえになってなあ、持ち上がってからに、盛り上がるように、たんとなった。
「まあ不思議なことじゃなあ。どうもあんたが手返しすりゃあ、こねえに餅が増える。」
いうて、せえでまあ、色は粟餅じゃけど、食べてみりゃあ餅米の餅と同じような味がする。
「まあ、ありがてえこっちゃ。まあ食べましょう。あんたのほうなあ、はあ餅つきはすんだかなあ」
いうたら、
「いんにゃ、わしゃあ貧乏人じゃけえなあ、あの、ここの山奥の、みんなが山んばばあじゃ、山んばばあじゃいうが、わしぁ、その山んばばあじゃ。へえで、はあひいさ(もう長い間)、ご飯がのうてからに、ままぁ(ご飯を)食うとらんけえ、せえでように腹の皮が背中へひっついてからに、あねえになっとったけど、今、こう餅ぅ腹いっぺえ食わしてもろうたけえ、こんなに元気になった。」
いうて見りゃぁ、もう、もりもり大けな元気そうな婆さんになった。へえから、

  「今日は、節季の29日じゃなあ」
いうて、おしつまったけどもが、貧乏人じゃけえ、よそなあ22、3日のころにゃぁ餅ぅつきなさるけどもが、うちなぁ、粟餅ぅたった一臼しかつこうようねえんじゃけえ、そねえ早うついたら節季のうちぃもちがすんでしまうけえ、せえで年取りぃ餅ぅついてあんたがてご(手伝い)をしてつかあさったけえ、何そう倍いうて増えて、よーけいになったけえどもが、粟がちいとしきゃねえしして、せえではあ、おしつまってからに29日になってからに、それは昼はふうが悪いけえ、夜さつきょうりました。」
いうたら、
「そうか、そんなら、もう来年からぁなあ、来年も29日につきなさい。わたしがてごに来るけえ。 せえで餅米ぁ、そうじゃなあ26日にやぁ、もう浸しなせえ。」
「餅米を浸そうたって、うちなあ餅米ぁない。」
「餅米ぁ、26日の朝ま、表口ぅ開けてみなさい。餅米ぁ間においとるけえ。」
いうた。
「ここにゃあ、お爺さんとお婆さんとわしと3人だけじゃけえ、三臼分ありゃあええなあ。それぇもっていって人間のが三臼分と、年神様のが一臼と、それで四臼分の餅米、とにかく26日の朝ま、早う起きて浸しなせえ。せえで、29日つこう。そうすりゃあなあ、米がふやけて餅がようけいに(たくさんに)なるけえ。」
いうてお婆さんにいうた。

  えから、本当やらうそやらと思うとったら、あけの年にやぁ26日の朝ま、
「あねえなことをいうたが、お爺さん、今朝早う起きてみゅうええ」
いうて起きてみたら、庭の口の障子ぅ開けたら、入り口のところへちゃんと新しい麻袋の中へ、きれいについて、つきすまいた餅米がようけえ入っとった。それで、
「四臼分いうたんじゃけえ、こりょう四つぃ分けてなあ。浸すがええ」
いうて、それで浸いて、それで29日になったけえ、
「今日は餅ぅつこう。お婆さん、ざまが悪いこたあねえが、餅米じゃけえ、朝からつこう。」
いうてしょうたら、一臼目がうみそうになった時分に、ぼつぼつ湯気が上がりかけたら、

 

「お寒うござんす」
いうて、去年の婆さんが来た。
せえからまあ、器用に、なにやかや手早ように、臼を洗い、杵を洗い、てごうして、せえで、
「餅取り粉やなんざぁ、ちゃんと持ってきた。」
いうて言やあ、
「うちなあ、くず米でからに、こしらえとります。」
いうて言うたら、
「そねえな汚げな餅取り粉でのうても、ちゃんとわらびの根を掘ってたてえて(たたいて)なあ、わらびの かねを取って、ええ粉をこしらえて持ってきた。」
いうて、せえから、その婆さんが、また餅ぅつく手返しぅすりゃあ、餅が増えて、増えて、臼いっぺいになるそうな。

  えから2,3年まあそうやって婆さんが一臼分持って去ぬる。年神様の分と爺さんの分と婆さんの分と、せえから山ん姥さんの分が一臼あるんで、一臼はその山ん姥さんが持って去ぬる。へえから、毎年、毎年一臼分持って去ぬるけえ、婆さんが来るのは面倒だけえ、
「今年ぁ、29日ぃつかずに28日ぃついちゃろう。」
いうて、せえから28日ぃついて、へえで婆さんの分だけ残して置いてえて、餅ぅついて、くつろいどった。(ゆったりと休んでいた)
 したら、29日の朝ま、婆さんがとうにやって来て、
「はあ餅がうみるか」
いうて来て、
「いや、ありゃあ昨日ついてけえ、あんたの分一臼ここへ置いてあるけえ、あんたの分持って去になさい。」
いうたら、

  「あんたらあ、貧乏人じゃけえ、正直な人間かと思うたら、嘘つきじゃなあ。もう、これぎり、お前のとこんやあ来んけえ。あの元のとおりの貧乏人になれ。」
いうて、婆さんが怒って
「もう、お前らばっかりついた餅は、わしは、いらん。わしは餅をつくのは好きじゃけど、嘘をつくのは嫌いじゃ。」
へえで、婆さんが怒って去んで、それぎり婆さんは寄りつかんようになって、餅米を持って来んようになった。
 せえから、その家は元のとおり、また貧乏になってしもうた。へえで、もう粟餅しかつけんようになった。

語り手:真庭郡落合町栗原 三浦志げ代
岡山むかし話101選<上>(立石憲利 編著)山陽新聞社より