20世紀最後の旅行はキムチで3泊4日(2000年12月10日ー13日)
大韓生命ビル60階から撮ったソウルの町。
近年、韓国旅行への人気は大変なもので特に東京ーソウル間の航空券はなかなか入手できないという。事実、私も5回の韓国旅行のうちキャンセル待ちをさせられたのが3回あった。常々私は羽田空港からソウルへの航空便を利用できればと思っていたのだが最近になって国レベルで議論が行われてくるようになった。ぜひ、空港利用者にとって利益のある結果を作り出して欲しいと思う。
☆文章中、100W=10円です。
2000年12月10日(日)
12時30分発大韓航空ソウル行き702便に乗るべく、例によって早朝に家を出て成田へ向かう。大韓航空に乗るのは今回が初めてである。シーズンオフということもあり、成田空港ではさほど大きな混雑は見られず、非常にスムーズに出国手続きを終えることができた。
昨夜調べた天気予報によると、韓国は現在寒波が来ており、2,3日は氷点下の寒さが続くという。
飛行機はほぼ定刻通りに成田を出発、やはり満席に近い状態である。搭乗客は大韓航空のせいか韓国人がかなり目立つ。機内で配っている韓国の新聞を広げている客が多いことや、あちこちで韓国語が聞こえている(特に老人が多かった)からである。
しばらくして機内食が配られ始めた。飛行機に乗って唯一の楽しみがこれ、特に外国の航空会社の飛行機に乗ったときにはどんな料理が出てくるのか非常に待ち遠しく感じられる。以前、ユナイテッドに乗ったときはパサパサの肉がはさまっているホットドックのようなのが出てきてそのお粗末さに少々がっかりさせられたのだが、さて、今回はというと・・・・飲み物(韓国の缶ビールを頼む、ピーナッツなどのつまみつき)、熱い容器に入った中華丼のようなもの(ただし具は肉ではなく魚)、パンとマーガリン、サラダ、ミネラルウオーター、ベルギーのチョコレートであった。朝食を家で食べてこなかったのでどれも非常に美味しく感じられた。ひと眠りして目が覚めると、もう高度を下げ始めている。沖縄より近い外国である。
入国手続きを済ませて外へ出ると、普段日本では滅多に経験できないキリッとしたするどい寒さが伝わってくる。これから4日間、ソウルで宿泊するホテルは明洞の繁華街にあり、地下鉄の駅前に建つロケーション抜群の格安ホテル、ソウルプリンスホテルである。4日間あちこちへ行ったが、本当にロケーションの良さを感じた。値段が安い分、客室はそれなりだったが不安、不便を感じることは全くなかった。
明日は韓国が誇る特急セマウル号で大田(テジョン)へ行く予定である。この特急は全席指定であるためホテルで荷物の整理をした後休む間もなくソウル駅へ切符を買いに行った。ソウル駅まではホテル前の地下鉄の駅である明洞駅から2コ目である。ソウル市内の地下鉄運賃であるが現在たいていのところへは600Wで行ける。2年前韓国を訪れたときは450Wだったので値上がり方がすごいが。それでも本当に安い!地下商街へ階段を下っていくと、キムチと魚介類の混ざったような韓国独特のにおいがしてくる。このにおいをかぎ、駅のホームで久しぶりに地下鉄のアナウンスを聞くと、韓国に来たんだ、と感じさせられる。
ほどなくソウル駅に着き、セマウル号の切符を買うため窓口に並ぶ。前の人にぴったりくっついて並んでいないとすぐに横入りされる。私が窓口で切符を買うために窓口の人と話しているときでさえその前に割り込んでこようとする人がいた。韓国にいるときは自分を強く主張しなければならない。明日の特急セマウル号であるが、座席のタイプは一般室と特室(グリーン車)の2種類ある。値段も安いので窓口で特室を希望して切符を注文したら、特室はない、といわれた。ソウルから大田までは韓国の時刻表によると166キロあり、約1時間40分の所要時間である。運賃はなんと10900W。特室は買えなかったが無事に明日の切符を入手し、久しぶりのソウル駅構内や明洞、地下街などをぶらぶらと見て回ったがとにかく人の数がどこもすごく、活気に満ちている。日本ではこのような光景はなかなか見られない。
夕飯は、明洞のソルロンタン(牛の雑炊のようなもの)専門の店に入り、数々のキムチをつまみにビールを飲みながら食事を楽しんだ。ソルロンタンとビール併せて8000W。サービスで出されるキムチは、日本で売られているのとは違い、濃厚で香りもよく、漬け物らしい味がする。
ところで夜暗くなってから分かったことであるが、ソウル市内は至る所でクリスマスイルミネーションが飾られていて非常にきれいである。そういえば韓国はキリスト教の国であることを思い出した。また、金大中大統領がノーベル賞を受賞したことに対するお祝いの垂れ幕も数カ所で見ることができた。
夜9時をすぎても明洞の繁華街のにぎわいは衰えない。おそらく気温は氷点下10度近くにはなっているはずなのに。この寒さの中、ミリオレという大きなファッションスーパーの前では大音量でカラオケ大会のようなのをやっており、大勢の人でにぎわい、また観客の盛り上がり方もすごかった。私も思わず30分ばかり夢中で見てしまったのですっかり体が冷えてしまった。
明日は早起きして大田(テジョン)へ行く予定である。(大田はソウルから南へ約166キロのところにある地方中核都市)
12月11日(月)
朝6時、携帯のアラームで目が覚める。前にも書いたが、自宅にいるつもりでぼんやりと目が覚めて、しばらくして今自分が旅先にいると気づいたとき、思わずうれしくなってしまう。仕事の時の早起きは毎回つらいがこのようなときは全く苦にならない。テレビをつけて天気予報を見たところ、朝、ソウルは氷点下8度まで下がっているとのこと、部屋の窓を開けると痛いくらいの冷たい風が入ってきた。洗面や荷物の整理をして早々とホテルを出る。
朝7時前、ソウルの朝はまだまだ薄暗い。ホテル前の地下鉄明洞駅は、通勤時間前なのか、人は少ない。ソウル駅構内のキオスクで韓国版の時刻表(3000W)を買った後、朝食をとるために、食堂を探す。構内にはハンバーガーショップ、ウドン店(韓国でも’ウドン’という)、ピザ、そして韓国式の食堂など多くの店がある。私は韓国料理の軽食堂の中の一つに入り、チャジャンミョン(ジャージャー麺)を注文した。そばよりもちょっと太めの麺に少し甘めのあんかけ風のみそがかかっていて、辛い料理が苦手な人にはもってこいの料理である。韓国では子供の大好物だという。韓国の食堂では料理を頼むとまずキムチが数種類出てくるのであるが、なぜかチャジャンミョンの場合はべったら漬けのようなたくあんが出てくることが多い。値段は2800W、これで儲かるのかと思うくらい安かった。
さて、釜山行き特急セマウル号は9時にソウル駅を出るのであるが、出発15分前にならないと改札が始まらない。何だか飛行機のようである。何度か韓国へ来ているうちに感じてきたことであるが、この国では鉄道はある程度高級な乗り物であるということである。駅構内をブラブラしているうちに、セマウル号に乗る人の改札口前に長い行列が出来始めた。改札を通って列車内に入る。私の切符はグリーン車ではなく一般席のものだったが、車内は広く、座席は日本のグリーン車以上に大きく前後左右ゆったりとしている。定刻通り列車はソウル駅を発車し、しばらくして車内アナウンスがあった。アナウンスは韓国語、英語のほかになんと流暢な日本語、そして中国語でも行われた。非常に驚かされた。この列車を利用する日本人、中国人はそんなに多いのだろうか?(私のような物好きは別だけど)何もセマウル号のような高級な列車に乗らなくてもあまり変わらない時間と安い運賃で同じ場所を高速バスが運行しているのに。私は窓側の席だったので十分に車窓の景色を楽しめたが、日本とあまり変わらないというのが第一印象だった。日本と同じように列車が発車して一段落すると車内販売の人がワゴンを押してきた。が、日本ではおなじみの「お弁当にお茶、コーヒーにアイスクリームはいかがですかー?」などという売り声は全くなく、無言でワゴンを押してしかも早歩きで行ってしまう。
1時間45分かけてほぼ時間通りに大田に到着した。今回は大田までしか乗れなかったが、次回はぜひ終着の釜山まで乗ってみたいものである。見た感じ乗客の4分の1くらいがここで下車しただろうか?大田もソウルに負けないくらい寒い。時計は10時45分を指しているがおそらくこの時間も氷点下だろう。でも雲一つない良い天気である。大田駅は日本でいう地方都市の駅そのものといった感じ、印象に残ったのは、ホームに立ち食いうどんの店があり、湯気を立てていた風景である。駅前はホントに広い広場になっていて鳩がたくさん休んでいたが、あまりの寒さか、顔を体の中に隠してしまっている鳩が多かった。このような鳩を初めて見た。餌をやっている人もいたし、何より大田駅前で忘れられないのは、駅前広場の真ん中で焼酎のビンを持ちながら酔っぱらって寝っ転がり、足をバタバタさせているおばさんの風景だった。何人かが声をかけていたようだがそのおばさんは相手にしていなかった。
大田市内はガイドブックによるとEXPO科学公園(数年前開催された大田万博の跡地をテーマパークにしたところ)しか見るべき場所はないらしい。少し足を延ばすと、ユソン温泉という温泉地に行けるのだが、時間がないので今回はお預け。駅前広場で客待ちしているタクシーに乗り込み、EXPO科学公園まで連れていってもらう。タクシーは相乗りもある一般タクシーで初乗り1300W(外国人観光客向けに模範タクシー、初乗り3000Wもある)一般タクシーで運賃をぼられたり、遠回りさせられたりなど評判の悪い話をよく聞くがこの4日間の旅行中にタクシーを何度か利用したものの全くそんなことはなかった。タクシー運転手は例によってめちゃくちゃ恐いほどのスピードを出して急な割り込みなど乱暴な運転をしている。しかもラジオをがんがんかけて。おかげで恐い思いをしたが早くEXPO科学公園に着くことができた。メーターはちょうど5000W、運転手は公園の入り口を教えてくれた。
今日は天気はいいのだが、日中でも氷点下の寒い日、しかもウィークデーとあって園内はほとんど人はいなかった。園内の様子はちょうど日本の筑波の科学万博や横浜博に見られたように各会社、自治体の大きなパビリオンが点在する大きな公園といった感じだろうか?あまりに日本の万博と様子が似ているので今自分が韓国にいるのを一瞬忘れてしまう。園内には遊園地あるが今日は乗り物などは動いていないようだった。
園内を30分ほどかけて見た後、これ以上ここにいてもしょうがないのでまたタクシーを拾い大田駅まで戻った。この帰りのタクシーの運転手は長髪で髪の毛を後ろで束ね、おまけにサングラスをかけていて本当に恐そうな感じの人だった。韓国語で「大田駅まで行ってください」と言うと、ゆっくりとした口調で「大田駅ね?」と言ってから走り出した。やはり例によって運転は乱暴、スピードも出し放題、よく事故を起こさないなあと思うくらいだった。でも大田駅に着くと、降り際に電車の乗り場をきちんと教えてくれた。行き帰りのタクシーの車窓から見た感じでは大田はソウルと比べるとゴミゴミして「少し散らかった町」という印象を受けた。駅前の広場ではまだあの酔っぱらいのおばさんは寝っ転がっていた。
大田でも地下街はソウル同様に発達しており、ブラブラと見て楽しめた。地上では駅のわきの通りが市場のようになっている箇所があり、野菜や果物、台所用品を売る店が目立った。ビーチパラソルのようなのを立てている店が多く、独特の雰囲気が感じられた。ちょうどお昼時、ここでは食堂の出前のおばさんをよく見かけることができた。数皿の料理が乗った大きなお盆をなんと頭の上にのせて歩いて近くの店に運んでいく光景は忘れられない。また、ある店の前に、たぶん出前の後だと思うのだが、大きなお盆に数皿が乗っていてお盆の上から新聞紙を覆いかけられているのがあったのでその新聞紙をめくってみると、食べ終わったばかりらしい数皿とカクテギ(大根キムチ)が少し残った小皿があるのが見えた。何か韓国人の日常生活の一部をこんなところで感じることができた。やはりキムチは欠かせないのか?
私も駅周辺をいろいろ歩き回って空腹、そして体が冷えてきたので何か温かくて辛いチゲでも食べようと思い、駅のわきにある小さな食堂に入った。その食堂の名前はテジョントゥッペギ(直訳すると大田土鍋?)。名前のおもしろさで入った店だったが、座敷といす席と両方あり、安くてきれいな店だった。キムチチゲ(キムチ鍋)を頼んだが、驚いたことにチゲが出てくる前にキムチと小皿料理あわせて7皿も出てきた。これだけで満腹になりそうだ。(ニラキムチ、白菜キムチ、タラの薫製のようなもの、ゴボウのようなキムチ、ムルキムチ、ウズラの卵を甘辛く煮たもの、カクテギ)この中で、ウズラの卵は、口の中が辛くなってきたときに食べるとウソのようになおるので不思議でしょうがなかった。肝心のキムチチゲも具だくさん、だしがきいていて大変美味しかった。これにご飯がついてなんと4000W!!店員の感じも大変よく、気に入った店の1つになった。
大田は観光地としては目立ったものは確かにないがその分日常の韓国人の生活が感じられる町だと思った。
午後は特急セマウル号ではなく、高速バスでソウルへ戻ることにした。高速バスは韓国では鉄道以上に発達、国内各地へ細かく運行されている。大田駅前から路線バス(600W)で大田高速バスターミナルへ行き、そこでソウル行きの高速バスの切符を買った。特急セマウル号はソウルー大田間が10900Wだったが、高速バスは大体同じ所要時間で6500W。バスのシートも広々していて心地よかったが、やはり高速道路に入ったバスはやたらととばし、車線変更もかなり乱暴におこなっていた。ソウルー大田間は5分から10分おきに高速バスが運行されているとのこと、非常に利用価値のあるバスだと思った。ソウル市内に入ってからひどい渋滞に巻き込まれたので定刻通りとは行かなかったが、予想以上に快適なバスの旅ができた。ソウルの高速バスターミナルに着いたのだが、ここは韓国各地から大型の高速バスが発着していてスケールも大きく、壮観な風景であった。日本ではこれだけ多くの大型バスがそろっている風景はけして見ることはできない。
この後、私は地下鉄に乗り、1988年に行われたソウルオリンピックの競技場を見に行った。季節によってはここで野球やサッカーの試合を見ることができるそうであるが、今はオフ、でも雰囲気は味わうことができた。もう、夕方近くになっていたせいか、人はあまりいなかった。
さて、また地下鉄でホテルへいったん戻りに行ったのであるが、途中の地下鉄内での出来事。ソウルの地下鉄はいろいろな物売りが乗り込んできて退屈しないのであるが、今回も例によってそれを見ることができた。まず最初はゴム手袋売り。中年のおじさんがいきなり地下鉄車内の通路中央に立ち、ゴム手袋をかざしながら演説調で説明を始める。ゴム手袋売りが行ってしまうと今度は小さなラジカセを肩からかけて音楽を鳴らし、それに合わせて歌いながらお金を乗客からもらう、いわゆる物乞いが来る。次に、クリスマスカード売りである。座っている乗客の膝の上に次々とカードを置いていき、客の反応がなければまた集めて次の車両へ行ってしまった。ここ近年パワフルに発展し続けている韓国であるが、その裏側を見た思いがさせられた。
夜は明洞で参鶏湯の専門店「百済参鶏湯」へ行き、参鶏湯とビールを注文して料理を楽しんだ。合わせて12000W、韓国内としては高い夕食になってしまった。参鶏湯は、ひな鶏の内蔵などを抜き、お腹にもち米やナツメ、朝鮮人参などの薬味をつめて丸ごと煮た料理、日本のうな重に相当するスタミナ料理である。スープに浸かっているのであるが、淡白で鶏の良いだしがでていて少しもけもの臭くなく、いかにも体に良さそうな感じの料理である。明洞の繁華街は夜の氷点下の寒さにも負けず、どこも相変わらず大変なにぎわいだ。韓国人のパワーはすごい!この独特の雰囲気は日本では味わえない。日常の仕事で疲れきった自分の心身にたくさんの元気が与えられている気がする。ホテルに戻る途中、コンビニで缶ビールやつまみ類を買ってこの日の予定を終えた。
12月12日(火)
ソウル郊外に北漢山という山があり、辺り一帯が国定公園になっている。市内バスで約1時間かけて牛耳洞(ウイドン)というふもとの小さな田舎町に着くのであるが、ここは「神様こんにちは」という韓国映画でも出てきた場所である。緑が多くその鄙びて落ち着いた風景が映画を見て忘れられず、今回訪れることにしたのである。東京で言えば奥多摩のような場所になるだろうか?
例によって早起きし、ソウル駅構内でチャジャンミョン(ジャージャー麺)の朝食(3000W)、続いてソウル駅のバス停へ向かった。
途中で東亜日報という新聞を買ったのだが、昨日はソウルでも氷点下10度まで下がったと一面のトップ記事で報じていた。写真も載っており、マフラーをしながら寒そうに歩く市民の様子が出ていた。
ところでバス停では、ひっきりなしに各方面行きの市内路線バスがやってくる。こちらも自分の乗るバスを見逃すまいと注意して、やってくるバスの行き先表示を見る。5分も待たずに牛耳洞(ウイドン)行きのバスが来る。1時間くらい、終点まで乗るというのに600W。でも運転は非常に荒く、やはりスピードを出す。バスなのに。危ないなあなどと不安とともに車窓を見ていると、前を走っていた路線バスとその横を走っていたタクシーが接触事故を目の前で起こした。3車線の道路なのに4,5車線で走る車が後を絶たない。2台が道をふさいで車線が狭くなったので大渋滞である。バスの運転手も機嫌が悪そうだ。バスはソウル駅前のバス停を出ると市内でも賑やかな繁華街の一つである鍾路(チョンノ)を抜けるのであるが、ここが本当にひどい渋滞である。その後バスは時間を取り戻すかのようにものすごいスピードで走り、終点の牛耳洞(ウイドン)まであっという間に着いてしまった感じに思えた。
牛耳洞は本当に郊外の村、といった感じのところである。さっきまでいたソウルの騒がしさがウソのようだ。北漢山の登山口へは一本道があり、また日本と同じように「北漢山国立公園」と漢字で書かれた大きな看板が地図とともに立っていたのですぐ分かった。道の両側には小さな土産店や食堂などが並んでいて、これまた日本の観光地と全く同じ雰囲気である。火曜日の午前中ということもあり、観光客は少なかったし、そのほとんどがリュックサックを背負った年輩の人ばかりだった。日本人と思われる人はもちろん一人も見かけなかった。上へ向かって歩き始め、1時間ほど過ぎたが全く山頂に近づいている感じはしない。どう考えてもあと1時間は必要と思われる。山の中を黙々と歩いていると、ここは韓国であることを忘れてしまいそうなくらい日本と同じ風景である。時間があれば山頂まで行きたかったのだが、午後はまた別の予定を組んでいたのでこの辺で引き返すことにした。次回はまる一日かけてゆっくりと過ごしたいと思う。しかしながら、ソウルの騒がしさからしばらくの間離れて別の意味で気分転換になったし、ガイドブックにはあまり詳しく載っていない牛耳洞の町や山を楽しむことができたので収穫はあったと感じた。
昼過ぎ(まだ昼食はとっていない)ソウル駅行きの路線バスで戻り、今度は教保文庫という大きな本屋へ行った。日本でいう三省堂や八重洲ブックセンターのような感じのところである。ちょっとのつもりで店内を見ていたのだが、結局1時間近くもいてしまった。私は韓国の人が読むためのソウルのガイドブックを見つけて買った。日本の韓国旅行ガイドブックには載っていない、ソウルの地元の情報が結構載っていて面白いし、うまく使えば安く旅行ができそうである。
この後私は地下鉄で汝矣島(ヨイド)へ行き、雑居ビルの中の食堂で少し遅い昼食をとった。韓国のみそ汁と呼ばれるテンジャンチゲというみそ仕立てでキムチや豚肉などの具が入った鍋物を食べた。ご飯と例によって数種類のキムチが付いて4000Wだった。キムチと一緒にキムチ風の薩摩揚げが出てきたが、予想以上に美味しくて感激?してしまった。テンジャンチゲに入っている韓国のみそは日本のに比べると若干癖があるが、それでも日本人にはなじみやすいと思う。昼食後は前から見たいと思っていた大韓生命63ビルの展望台へ行った。地下鉄のヨイナル駅から徒歩10分くらいの漢江という大きな川に面した場所である。池袋のサンシャイン60と同じである。ショッピングセンター、展望台、水族館まである。展望台の入場料は5500W、結構高い値段である。しかし、60階の展望台からは漢江を含めてソウルらしい風景が楽しめた。
ところで、ヨイナル駅から大韓生命63ビルまで歩いていく途中に、漢江市民公園、その反対側には中学校らしい学校や高層アパートなどがあった。漢江市民公園は川に沿って広い公園になっていて景色も良い。ブラブラと散歩をしている人が結構いる。なんと、たこをあげている人がいた。ここだったら心配なくあげられるだろう。でも韓国にたこあげをする人がいるとは驚いてしまった。反対側にある中学校であるが、ちょうど下校風景が見られた。学校内ではパンの販売があるらしく、パン屋でよく見られるあのプラスチック製の大きな専用トレーが校舎の入り口に積み上げられていた。また、部活動をやっている様子は見受けられなかった。校門前には下校する生徒のためのスクールバスが何台か並んでいた。乗っている生徒は少なかったが。中学校の隣にある高層アパートも見てきた。おそらくどのアパートも10階以上はあるだろう。辺り一帯はアパート群といった感じでたくさん立ち並んでいる。一階部分が店になっているアパートもあった。住民の駐車場スペースもある程度確保されているようだったし、駐車場の隣には公園もあった。私はアパートの中が気になり、ある入り口から入ろうとしたが、なんと、建物のすべての入り口に管理人室があって入りづらいのでやめてしまった。アパートの敷地内は学校帰りの生徒や買い物帰りの袋を下げた人たちが次々と歩いて帰ってくる。私は今回の旅行でこれらの風景が一番印象に残った。韓国人の日常生活を垣間見ることができたから。
早くも夕方、いったんホテルに戻りひと休みした後、ロッテデパートまで歩いていき、地下食品売場でおみやげを買う。ここで買うのが一番手っ取り早く、種類も大変多く、また安い。いつも持ちきれないほど買ってしまう。今回は、韓国製のもなか、マドレーヌ、焼き肉のたれ、岩のり、インスタントラーメン、その他もろもろを買った。この売場は今までに何度となく来たがいつも、普段の日もあふれんばかりの人である。おみやげを買う日本人も多い。もう、繁華街はどこもクリスマスムード色といった感じ、ソウルの町中のイルミネーションはとてもきれいである。夜は明洞にある「名古屋」といううどんの店に入り、豆腐チゲ(韓国式豆腐鍋)を食べた。もう、毎日毎食唐辛子の辛い料理を食べないと気が済まなくなってきた。
12月13日(水)
早くも帰る日、楽しいことをしているときの時間は本当に短く感じる。そして明日からまた出勤だと思うと憂鬱である。
韓国最後の朝食は近くのコンビニに行って韓国版のおにぎり、サンドウィッチ、牛乳など、そしておみやげ用にお菓子を数種類買った。お菓子を選んでいてふと目にとまったのが韓国でも人気のアニメクレヨンしんちゃんのパッケージのお菓子。その名もなんと、「チョコビ」とハングルで書いてある。
以前にも書いたが、韓国の牛乳は低温殺菌のまろやかな美味しい牛乳が多い。私は小さいパックの低温殺菌の牛乳とヒョンミウユ(玄米牛乳)を買った。ヒョンミウユは少し甘く、そして牛乳ときなこを混ぜたような味で美味しかった。毎朝ホテルの部屋で見ていたテレビの朝のニュース番組も今日で最後、天気予報では、寒波も一段落して、気温は上がるという。
ソウル発東京行きの飛行機は11時20分発、そろそろホテルを出ることにする。いつも帰るこの時思ってしまう。あと1泊できたら・・・。
金浦空港では、最後の買い物で韓国の辛子明太子を買った。
2時間かからないで東京に着いたが、空気の暖かさに驚いた。おしまい
※2001年3月、ソウルの金浦空港は国内線専用空港になり、国際線にはソウルから電車で1時間の場所にある仁川に新しく成田空港の5倍の広さの空港が開港するそうである。