光源寺Web 法話

信じる心2

 「今から2500年前、お釈迦様が

亡くなったあと、弟子たちが集まって

お釈迦様の供養をしていました。それ

を見た、ギリシャから来たミリンダと

いう王様は、供養をしている弟子たち

に向かって次のように尋ねたそうです。

 お釈迦様は亡くなってもうこの世に

いないのに、供養と称してそのような

ことをしてどんな意味があるのですか。

 弟子は答えました。王様、ここに一

つの火が燃え尽きて消えてしまいまし

た。この世から火は消えてなくなった

のでしょうか。

 王様はいいました。そんなことはな

い。また火が必要なときは、再び火を

おこして使うだろう。

 弟子はいいました。そうでしょう、

私たちにとってお釈迦様は大きな炎で

した。生前、その光、ぬくもり、お徳、

教えにあたっておりました。ここにそ

の火はなくなりましたが、また必要と

するときは、こうやってその火を再び

おこして、その光、ぬくもり、お徳、

教えにあたるのです。これが供養です。

 この答えに、ミリンダ王は得心され

ました。

 私にとって、道元禅師は大きな炎で

す。その教え、光にあたっています。

だから私にとって道元禅師の750回

忌は意義があります。」

 私はこのように答えました。

 おじいさんは納得のいかない顔で、

またある日、次のようにいいました。

 「和尚さん、人は死んだらどうなる

と思うかね」

 そこで私は次のように答えました。

つづく

仏教ってなに?悟りってなに?無常無常22月15日彼岸いただきますお釈迦様の癒しイメージ唯我独尊信じる心百点満点の自分信じる心2怒り

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