TVシリーズからの続きという位置づけだったんですね。それで間にスラッシュが入っているのがわかりました。(Air 25話、まどころを君に 26話)
ミサトさんとリツコさんの死に方(死んだ後)はTV放送時にもちらっと出てきていたので想像はできましたが、死に至るまでの心の動きと行動そして過程がよく描かれていたと思います。
Air中盤からのアスカさまの活躍には思わず目頭が熱くなってしまうほどでした。アスカさまの復活は「シト新生」で既に見てしまっていたのですが、その後の大活躍には心踊るものがありました。作品の展開上ああいう終わり方(死なせ方)は効果的でしょうが、全国100万のアスカ萌え萌えの下僕の皆さんはおそらく納得はしないでしょう。(すべての人が納得する終わり方は不可能なので仕方が無いことだと思いますが。まー、最後に何故か復活してたからいーか。でも、包帯巻いてくれたのは誰だろう?)
また悪徳代官のゲンドウ親父が実はシンジ君を怖いと思っていたなんてーのはやられたと思いましたね。やっぱりユイさんの言うとおり、「かわいい人」だったのかもしれません。
その他の人々もそれぞれの思いのままに心の壁(ATフィールド)を解いてLCLとなっていったのでしょう。
最後まで解明されなかった謎の部分も半分位は予想通りだったので満足しています。
「黒い月」--->これは予想通り第3新東京市の地下の球状空間でした。
「キール・ローレンツは機械の身体」--->まー、あの姿なら当然と言えば当然。
「サードインパクト」--->起きないという予想は半分当たっていましたね。(完遂はしていないはず。)
「ほとんど全員死んじゃう」--->これも半分位の正解ですね。
「リリスの顔」--->これにはびっくらこきました。予想の範囲外でしたね。
「エヴァシリーズの使い道」--->これも予想外。あんな風になるなんて。
「エヴァシリーズの携帯武器」--->またまたびっくり。反則じゃないの。
「カヲル君再び」--->そりゃ登場しますよね。あのまま消えるにはおしいキャラクターです。
その他色々ありました。
思えばエヴァンゲリオンと出会ったのも偶然といえば偶然でした。
土曜日の深夜、いつものようにネットサーフを終え「TVでも見ながら寝るかな」とつけたTVが偶然テレビ東京、しかも「遊惑星」が放送中で「この後、2時何分から新世紀エヴァンゲリオンの再放送」のコメント。「ほー、今うわさのエヴァンゲリオンか。明日は予定もないし、ちょっと見てみるか。」と見たのがすべての始まりでした。
ちょっと眠かったのですが第壱話が始まってものの5分で完全にはまってしまいました。
いままでのアニメーションには無い早い展開、圧倒的な情報量、高いクオリティ、なんとも怪しいストーリー、気がつくと第四話が終了していて、時間は午前4時を過ぎていました。
ベッドに入っても興奮は覚めずにようやく眠れたのは5時30分をすぎていたのを記憶しています。
「宇宙戦艦ヤマト」「起動戦士ガンダム」とお約束のようにはまったアニメ第壱世代(?)の私としては正直「またか」と思ってしまいました。しばらくなりを潜めていたアニメーションの虫がむくむくと大きくなり、まさに発動してしまいました。
その後、TVシリーズをすべて制覇し、「シト新生」(この時はアメリカ出張があって詰まっているスケジュールをむりやり空けて劇場に行きました。)も見て、このようなホームページを主催するに至ったのです。
(ちょっと横道に逸れました。)
今回、はっきりいって劇場に行くか行かないかを寸前まで考えていました。
見たいけど、見たくないというのでしょうか?
これを見てしまったら、私の中のエヴァンゲリオンが終了してしまう。
今まではまってきたすべてが終局に向かってしまう。
そんな心理状態で少々落ち着きもなく87分間を見終わった感想が冒頭の部分です。
私は元来、人との別れを極端に嫌う傾向にあります。友人とスキーや釣りに行くときは陽気に騒げるのですが、帰りは行きとは反対に無口になります。別に一人が嫌いというわけではなく(かえって一人の方が気楽で好きです。)楽しかった時間が終わるというのがイヤなんです。こんな私ですので本当の意味での友人というものはおそらくいないでしょう。
この作品内に登場した台詞「人を知らなければ、人に傷つけられることもない。」まさにそのとおりなんです。人との分かれがイヤだから一人でいたい。まさにシンジ君の気持ちそのままです。だからこそエヴァンゲリオンという作品を見続けて(見守って)きたのです。
全作品を通して一貫して語られていたのが「人は他人を理解しようとすることで傷つけあうことになるが、他人を理解しようとしなければ自分自身の成長もありえない」ということだと思います。
作品中のシンジ君を自分に置き換えてみると見事に当てはまる部分が数多くあり、「もしかしてオレって全然成長してないんじゃないのか」と感じさせられ、ちょっと怖くなることもありました。
シンジ君は作品最後で大きく成長したと思いますが自分はどうなんだろう。
自分と比較した場合から脱力感、無気力感が生まれたような気がします。
さすがに続編はないと思いますが、話は完結してもなお新たな問題定義をした(された)ように感じました。
今は、これ以上書けません。
ビデオ発売後にもう一度このような文章を書いてみたいと思います。