タイトル | 最後の顔 |
内容(参照) | 「週刊少年サンデー 1994年8号」より |
初出掲載誌 | 週刊少年サンデー 1994年7号、8号 |
発行元 | 小学館 |
単行本 | 未収録 |
<解説>
この作品には、2つの顔を使い分ける女が登場する。人魚の毒によるなりそこない状の傷のある本物の七生の母としての顔と、傷のない七生(実は、本物の七生の息子)の母としての顔…。この文字どおりの「二面性」というのが、非常に意味深なカギとなっている作品だ。
前年(1993年)の初め頃から、同人誌やパソコン通信などで、るーみっく作品(特に「らんま1/2」)の二面性について指摘する考察がいくつか出はじめる。その中心となっていたのは、何を隠そう、この飛鳥杏華なのだが、それに対して意味深な図式が「らんま1/2」を中心に見られるようになってきていた。
中でも、「らんま1/2」の「公紋竜編」に出てきた海千拳と山千拳は、表裏一体をなす意味深な技だった。見た目にも派手な力技の山千拳に対して、気配を消し、知らないうちに足もとをすくったり、突きを見舞ったりするのが海千拳で、目に見える表面上の意味の裏側に潜むちょっと危険な別の意味として考察で指摘されていた内容を、まさに象徴するかたちになっていたのだ。
しかも、乱馬から「早乙女流海千拳は…見えちまったら、意味がねえんだよ…」という台詞が出てきており、「そういう危険な裏の意味は、世間に見せてくれるな」ということが、暗に示されたようなかたちになっていた。
こうした図式が見られはじめてきた中で、この2つの顔を使い分ける女が出てきたというのは、非常に意識的なもののように思われるのだ。
女は2人の七生に対して、「人魚の肉を食べさせる」という同じ行為をしようとした。この作品での「人魚の肉」は、不老不死の妙薬というよりは、毒かもしれない危険なものという位置づけのようで、七生(父)のときは、まさに毒として働いて、七生(父)に一生消えない傷を残すこととなった。
今度の七生(子)の場合は、人魚の肉の粉末を飲ませて徐々に慣れさせてきたのだか、それでも大丈夫という保証はない。今度もまた毒として働いてしまうかもしれない可能性もある中で、女は七生(子)が自発的に人魚の肉を食べようとするのを止めずに見守る。
しかしそれは、真魚によって阻止され、真魚は七生(子)に、「おまえには百年早い…」と言う。この台詞は、人魚の肉による変化に耐えられる体質が時の経過によって得られるわけではないことを考えると、まったくのピント外れな台詞と言えるのだが、むしろそこに意味深なものがある。
つまりそれは、今回の作品において、「人魚の肉」に何か別の意味が込められている可能性を示すもので、それを食う(知る)ことに対して「百年早い」と言っているのだという見方ができてくるわけだ。それは、やはり毒として働くかもしれない危険なもの…、恐らくは、海千拳に象徴される「危険な裏の意味」ではないかと…。
とするならば、この作品に登場した2つの顔を使い分ける女とは、作品の二面性を指摘して「危険な裏の意味」をばらまき、自分と同類の者を作ろうとする考察者を示すものだったのかもしれない。しかし、一般の読者にそういう危険なものを見せるのは百年早いと…。
だから、作品で女が自ら姿を消したように、こうした二面性の指摘は、自発的に消滅させて欲しいという訴えとなっていのかもしれない。そういう二面性が読み取れる者ならば、この訴えも読み取れるだろうと…。
しかし、飛鳥杏華がこうした流れに気づきはじめたのは、この年の10月下旬で、こうした流れは続く「1orW」でも引き続き見られる結果となっている。