タイトル 日帰りの夢
内容(参照)
「ビッグコミック・オリジナル 2000年5号」より
初出掲載誌 ビッグコミック・オリジナル 2000年5号
発行元 小学館
単行本 高橋留美子傑作集 赤い花束


<解説>

 日頃、家庭に居場所がないと感じていた中年サラリーマンの東雲は、途中で転校してほとんど覚えていない中学のクラス会に初恋の女性・志摩聖子の思い出のみを求めて出席する。この作品では、過去の美しい思い出と現在の現実との対比が描かれている。志摩聖子が太ってすっかり変わり果てたと勘違いした高井縞子のネタなど笑いの要素もあるが、全体的に感慨を覚えさせられる作品となっている。

 すべては3つの言葉に集約される。まずは扉絵の「思い出の数は今のわたしにとってどれだけ重要ですか。」というあおり文句、次に志摩聖子がかつて東雲に贈ったことばとして作品中に出てくる「時の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のようにはやく飛び去り、過去は永久に静かに立っている。」というシラーの言葉、そして「人は、過去を少しずつ忘れる。だから今を生きていれる。少しでも幸せな今ならば、明日を信じられる。」という最終ページの柱の文句である。

 特に最後の言葉だが、裏を返せば「過去をいつまでも忘れずにいたら、人は今を生きられない。」ということになる。過去は永久に変わることのない固定的な事実。それが美しい思い出であり、いつまでもそれを追い求めているとしたら、現在に対して不満を、未来に対して不安を覚えることも確かにあるだろう。しかし、過去は戻らない…。人は時とともに歩み、変わっていくものだ。過去の美しい思い出の中にに生き続けるより、ささやかでも現在の幸せを認識し、明日を信じて生きることが大切だということを作品とともに語っている。

 これはもちろん、作品に描かれたとおり人生について語ったものとして受け取ることもできるが、読者と作品、作家と作品、あるいは読者と作家について語ったものとしても受け取れる。思い出とは作者にとって過去のヒット作、読者にとっては大好きだった過去の作品…。その数は今の自分にとってどれだけ重要なのか? 少なくとも作者の答えは作品のとおりなのだろう。そしてそれをあえて描いてくるということは、読者にもそうあって欲しいと願っていると考えることができよう。

 主人公である東雲の年齢は逆算すると作品発表時現在で40歳くらいだ。古くからのるーみっくファンの上限層あたりと同じである。私、飛鳥杏華より1歳上になるだろうか。そして、志摩聖子が現在4人の子持ちというのも実に意味深だ。なぜなら、「うる星やつら」、「めぞん一刻」、「らんま1/2」、「犬夜叉」と高橋先生も4人の子持ちだからだ。

 東雲は現在の志摩聖子がかつての初恋の女性だった志摩聖子とは違うのだということを感じ取った。もう全然別の世界に住んでいるんだなと…。今の高橋先生もかつての高橋先生とは違うはずだ。高橋先生が昔のまま変わってないと考えることは、東雲が不自然きわまりないと言ったセーラー服姿の志摩聖子を思い浮かべることに等しいのかもしれない。(笑)


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