たみや けんじろう
田宮謙次郎(1928〜) プロ野球選手、監督


写真最前列中央が田宮謙次郎氏
(1999.1月下旬 下館の新東ホテルにて)
 田宮氏 野球殿堂入り
 
名誉の表彰 後進に励み

 阪神の黄金期を支えた強打者、田宮謙次郎氏の野球殿堂入りが決まった。野球人とし
て最高の栄誉である野球殿堂入りの報を受け、往年の大打者を輩出した地元・下館市は
喜びに沸いた。本県出身者では4人目の殿堂入り。県内野球関係者の間にも祝福の輪が
広がった。
 野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別両表彰委員会は 平成14年1
月11日、東京都文京区の同博物館で今年の被表彰者として、阪神・大毎(現ロッテ)
で活躍し東映(現日本ハム)で監督も務めた田宮謙次郎氏(73)=下館市在住、現下
館市議=ら8人の選出を発表した。
 本県出身者の野球殿堂入りは、故飛田穂洲氏(特別表彰)、故石井藤吉郎氏、故根本
陸夫氏に続き田宮氏で4人目。競技者表彰では3人目となった。
 田宮氏らの表彰で殿堂入りは計144人となった。競技者表彰ほ田宮氏をはじめ、通
算1065盗塁を記録した元阪急(現オリックス)の福本豊氏(54)、通算317勝
を挙げた元近鉄の鈴木啓示氏(54)、「打撃の職人」と言われた元中日監督の山内一
弘氏(69)の4氏が選ばれた。
 下館市出身の田宮氏は下館商高(現下館一高)、日大時代は投手兼外野手として活躍
した。大学を中退し1949年に投手として阪神入団。その後、打者に転向し58年に
セ・リーグ首位打者を獲得。大毎でも活躍、プロ15年で通算打率2割9分7厘、オー
ルスター7回出場、ベストナインにも5度選ばれた。


 昭和 3年 下館市に生まれる。
 昭和21年 全下館クラブ主戦投手として活躍、近県軟式野球優勝。
       同年日本大学野球部入部ただちに主戦投手。
 昭和22年 東都大学リーグ首位打者。
       元ダイエーホークス監督(根本氏)とバッテリーを組む。
 昭和24年 大阪タイガース入団、投手として活躍(成績12勝6敗)
 昭和28年 打者に転向する。
 昭和33年 セントラルリーグ首位打者。この間5年連続ベストテンに入る。
        ・昭和31年 第3位打者 .300
        ・昭和32年 第2位打者 .308
        ・昭和33年 首位打者  .320
        ・昭和35年 第2位打者 .317
        ・昭和36年 第3位打者 .328
 昭和34年 大毎オリオンズ入団。
 昭和35年 パリーグ優勝。
 昭和43年 大毎オリオンズ退団。
 昭和44年 中日ドラゴンズ バッティングコーチ就任。
 昭和46年 東映フライヤーズ 監督就任。
 昭和49年 TBS解説者。
 昭和56年 第1回田宮杯争奪中学校野球大会開催。
 昭和62年 阪神タイガースヘッドコーチ就任。
 平成 2年 第10回記念田宮杯争奪中学校野球大会開催。
 平成 6年 台湾プロ野球チーム味全ドラゴンズ監督に就任。
  (〜7年)
 平成 8年 東鳩・スポニチ野球教室講師。
 平成12年 下館市議補選に出馬し、初当選。



 ●下館の野球史と、田宮謙次郎氏についての本の紹介
    落合書店(栃木県宇都宮)から、栄光の「全下館」 田宮謙次郎 青春の軌跡
   とタイトルのついた本が出版されています。
    その中で、下館の隣結城にプロ野球チームがあったことや、田宮謙次郎への巨
   人と阪神の争奪合戦など 興味を引きそうな内容がたくさん書かれています。
    定価 1,050円(本体 1,000円)


 ●田宮杯争奪中学校野球大会 趣旨
   下館市が生んだ名選手田宮謙次郎氏を讃えるとともに、下館市及び近隣中学校生
   徒が本大会に参加することによって、正しい野球の向上を図るとともに、ひとり
   ひとりたくましい体力と豊かな人間性を培う機会とする。