昔のあそびその2   べーごま                           2005.2.5 T.Hoshino

 

昭和20年以前のことは、よく分かりませんが、21年以降、子供たちの遊びは草野球、馬とび、戦艦水雷、などのスポーツのほか、めんこ、びーだま、べーごまあそびが盛んでした。めんこ、びーだま、べーごまは3種の悪戯と称され、親からはきつく止められていたにも関わらず、親の目を盗んでは遊びに興じていました。いずれも相手との勝負で勝った方が相手のものをいただくという遊びだったからです。めんこは紙製、すぐに傷んでくる。びーだまもガラス製でぶつけ合うと割れるなどするので、私はあまり好みませんでした。そして専らべーごまに執心していました。

桶にキャンバスを張り、周辺をわら縄できつく縛り、中心をやや凹ませて水を打つ。これがべーごま競技の床と称するものです。学校から帰ったあとや日曜日にはあちこちの路地裏で、子供たちが競技に熱中しておりました。2〜3人の友達と遠征試合をたびたび行い、時によっては布袋に持ちきれないほどの戦利品を持ち帰った記憶があります。今考えるとかなりの遊び人であったような気がします。

1.べーごま競技

べーごま競技には多種多様の方法があります。そのいくつかを紹介します。

(1)もっとも一般的な競技

2人以上の競技者が、イッションベー(一緒にべーごまをしようという掛け声で、今風に言えば一二の三)で同時に床にべーごまを投入します。はじかれて外に飛び出したものは負けです。途中で止まってしまい、床上で仰向けにひっくり返されたものをおかまと云います。最後までまわっていたこまの競技者は自分のこまが回っている間に自分のこまとおかまとなったこまを一緒に手のひらでつかみ取ります。うまくつかみ取れれば、はじき出されたこまと、おかまのこまを自分のものにできます。最初に投入する時、床に入れることが出来なかった場合はしょんべんと云い、その競技に参加できないか、はじきだされたと同じ扱いにされます。どちらにするかは前もって決めておきます。

(2)ヤントリー競技

ヤントリーのヤンとは複数のこまが床上でぶつかって、すべてが床の外に飛び出してしまうことを云います。トリーは頂きますと云う意味です。

この競技は一般に2名で行います。最初に1名が床に入れ、この時ヤントリーと声をかけます。次の競技者がこまを床に投入し、互いにぶつかり合い、ヤンした場合は先に投入した者の勝利となります。こまの回転が速い場合、かなり高い確率でヤンします。

(3)つっけん、がっちゃき、ひっかき競技(技法)

先行して誰かのこまが床で回っている時、後から床にこまを投入する競技があります。この場合一般には先行者はヤントリーと云います。ヤントリー競技です。後から投入する競技者は、ヤンする危険性もかなりありますが、投入するこまとひもを巧みに使って、先行しているこまをはじき出すことが出来ます。この時の手法がつっけん、がっちゃき、ひっかきです。

 つっけん:床に先行して投入されたこまの腹をめがけてこまを投入します。投入したこまの持つエネルギーで、瞬間的に相手のこまを向こう側の床外にはじきだす技術です。かなり高度なテクニックが必要です。

 がっちゃき:回転しているこまをめがけて自分のこまをぶつけるように投入します。うまくぶつかるとぶつけられたこまは安定を失い床から飛び出します。荒っぽい、中程度のテクニックです。

 ひっかき:これは最も高度のテクニックです。こまのぶつかった音もせず、瞬時に相手のこまは床から消失します。なにが起こったか分からないくらいです。このテクニックは自分のこまを相手のこまの先に投入し、巻き紐を手前に強く引こことで、相手のこまを手前に引き出す技術です。先から手前に移動する自分のこまのエネルギーで相手のこまを手前にはじき、かつ、巻き紐の先端で相手のこまをひっかけて床の外へかき出すものです。全くぶつかった音がない場合があります。これは多分紐だけで相手のこまを床外に出しているものと推測されます。

(4)長時間回転競技

同時に床に入れ、遅くまで回っていた方を勝とする競技です。

 

2.強いべーごまとは

べーごま競技をする人は、競技に強いべーごまを作らなければなりません。強いべーごまとはどんなべーごまでしょうか。

(1)重心が低いこと。これは背が低いことです。当時市販のべーごまは背の高いものはかりでした。背を低くするために先端を削る必要があります。またあまり低くしすぎると、軽くなります。また、床は平面でなく湾曲しています。この面に側面が触れると急速に減速します。適度の高さが必要となります。

(2)重いこと。重ければ相手とぶつかった時、あまり影響を受けません。出来るだけ重量のあるべーごまを探すことになります。当時はいろいろのメーカーからいろいろのべーごまが出ていました。軽いべーごまに鉛などを詰めるという姑息なことはきらいでやったことはありません。

(3)中心が出ていること。回転の中心が出ていないと、急速に回転が落ちたり、他のこまとぶつかった時、安定を失いやすく、はじき出される可能性が高くなります。市販のべーごまはほとんどこのバランスがとれていません。自分で加工してセンターを出さなければなりません。

(4)角を持つこと

相手のこまにぶつかったとき、相手に衝撃を与える必要があります。一般にこまの外周に6個以上の角をつけます。最初からついているものもありますが、自分で最良と思われる角をつけて競技で良し悪しを試してみるのが大きな楽しみです。

(5)先端構造の決定

床と接触するこまの先端をどのように仕上げるかが重要となります。先端を鋭く仕上げるとこまは床の中央に静止し、ジャイロのように旋回します。受身の状態となり必ずしも最良とは云えません。床の中をある程度動き回り、相手に戦いを挑むことの出来るものでなくてはなりません。ここにも多くのノウハウが存在します。

小学5〜6年生の頃、この程度のことは充分理解していたと思っております。

 

3.強い競技者になるために

競技に強い競技者は強いべーごまを作れることと高度なテクニックを持ち合わせていなければなりません。さらに競技度胸、冷静さも重要です。私には子供のころから度胸はない方でしたので、べーごま加工と操作テクニックに注力していたと思っています。誰もが欲しがる最強のべーごまをかなり作りました。

 

4.べーごま加工

べーごまを加工するためにはヤスリやグラインダーが必要です。しかし戦後まもなくの時代では一本のヤスリすら入手できません。コンクリートの壁面で汗を流しながらすったことが思い出されます。竹の棒の先にこまを挟み、コンクリートの上をすりながら走り回ることも考えました。鋸のめたて用の小さなヤスリをもらい、長い時間をかけて理想の構造を完成させたこともあります。しかしこのような苦労の結果出来上がったこまがすばらしい強さを発揮すると、その苦しさなど瞬間に霧散して行きます。

いかに長時間回っているかにも挑戦しました。ある時、年上の遊び友達が今まで見たことのないような真鍮製のこまを持ってきました。

そしてそれは、いままで経験したことのない長時間の回転をしてくれました。父親が機械工場を経営しており、そこで旋盤で作ってもらったということです。初めて旋盤という機械が存在することを知りました。確か小学5年生のことと記憶しております。

私のもの作りへの憧れがこの時代のべーごまで芽生えたと思っております。

 

5.もの作りについて

最近の子供たちは有り余る物に囲まれ、出来上がったものの上であまり想像力を必要としない遊びに浸っております。コンピューターゲームなどがその最たるものです。そして仮想と現実の区別が付かなくなっているとも聞いています。このような教育環境でよいのでしょうか。すべての人がもの作りに携わってほしいとは云いません。しかし、戦後の日本の成長、発展はこのもの作りの力によるところが非常に大きかったと誰もが認めています。資源の乏しい日本はこれからも世界の先に立ってもの作りを進めていく必要があると思います。安いものが中国などからどんどん入ってきて最早競争は出来ないと云われるかも知れません。もの作りは安いものを作ることだけではありません。知恵を絞ってその先にあるものを追求する技術力こそ必要です。

こどものもの作りへの興味がかき立てられるような、教育、社会環境が今本当に必要な時です。

 

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