週間情報通信ニュースインデックスno.670  2008/08/30

1.未来の日本が陥る“貧困の再配分”サイクル (8.27 nikkeibp)
 北京五輪の成功で、中国は名実ともに大国の仲間入りを果たした。アジアのもう1つの大国、インドもそれに続こうとしている。今や、日本をはるかに越える 期待値を世界から集めるこの2カ国――。  だが、つい10年前までは、いずれも成長市場だとは認められていなかった。それは、なぜか。   その点を振り返ってみると、日本の未来と重なる1つのキーワードが浮かび上がってくる。それは“貧困の再分配”である。

 ガンジー、ネールの時代に独立を勝ち得た後、インド政府の目は国民に向けられていた。それにもかかわらず、人々の暮らしは良くならなかった。この原因の 1つとして挙げられるのが、貧困の再配分だ。  いくら福祉をうたっても、配分する富が確保できなければわずかな金額しか再配分できない。20世紀のインドでは、この富の確保ができないまま再配分だけ が先行したため、いつまでたっても国民の生活は良くならなかった。

 翻って、日本はどうだろう。  内閣府が今年発表した「国民生活に関する世論調査」によれば、生活に不安を感じる国民は調査開始後、初めて7割を超えた。不安のトップは「老後の生活設 計」だという。  既に国民の半数近くが50歳代以上になろうという国家である。不安を取り除くために国民が必要とするものは、“富の再配分”にほかならない。しかし、こ れからの我が国は、国民に再配分するだけの富を稼ぐことができるのだろうか……?

 成長力が落ちた未来の日本には、昭和の時代のような福祉政策を行うだけの富の原資が存在しないかもしれない。そうなった段階で、日本社会は貧困の再配分 のサイクルに入るリスクが表面化してくるはずだ。
 
 もちろん、20世紀のインド・中国における貧困の再配分と、21世紀半ばに僕が想定する日本における貧困の再配分では、貧困のレベルはずいぶん違う。
 未来の日本の場合、貧困の再配分といっても現在の老人たちが享受している生活レベルから少々、後退した程度だろう。医療費の自己負担額がそれまでの数倍 になるとか、年金だけでは到底生活できなくなるとか、そのようなレベルである。

 発展途上国における貧困のように、生まれてきた子供に与えるワクチンが手に入らないとか、不衛生な都市で生活を強いられるというレベルのものでは決して ない。それでも、これまで豊かな生活を歩んできた日本人にとって、晩年になってそのような生活レベルを受け入れるのはつらいことである。

 そうならないためには、結局のところ、未来の日本は新たな富を生み出すしかない。
 では、未来の日本が「貧困の再分配」に陥らないためには、どのようなメカニズムが必要なのか。

日本の貧困は「インド型」でやって来る

 貧困にあえぐ途上国には、いくつかのパターンがある。1つは、かつて借金にあえいだ「ブラジル型」。これに加えて、「インド型」と「中国型」がある…… 以前、僕はそう教わったことがある。
 中国経済が発展するようになったのは、政府が海外企業の投資を守る姿勢を明確に見せるようになってからである。
 次に、「規制が厳しすぎて前に進まない」というのは、起業家には先行投資の意思があるのに、政府の側が投資させてくれないという状況だ。

 インドの法律は、日本以上に細かい。それこそ網の目のように細かく制定されていて、あることを行おうと思っても、それが法律に準拠しているのか、違反し ているのかさえ誰も判断できない。そういう冗談のような状況が日常的に起きていたのである。そして実は、それが汚職の蔓延につながった。というのは、何か をやろうとすると必ずどこかの官庁の認可が必要になる。できるだけスピーディにビジネスを進めるには、汚職に手を染めたほうが手っ取り早いのだ。

 このような理由から、長らくインドも中国も、経済を発展させることができずにいた。結果として、福祉の分野では、国家の“貧困”を国民に再配分するよう な状況が続いてきた。

 翻って考えると、日本社会はどちらかというとインド型に分類される。
 法の網の目は結構、細かい。それもインド同様、厳密に守らなければならないものだけではなく、監督官庁が“目こぼし”をしながら国民をコントロールして いるものがたくさんある。クルマのスピード違反みたいなものだ。普段は誰も厳密には守っていないが、いざとなったら規制されてしまう。そのようなルールが インド同様、日本には至るところに存在している。

 日本が「貧困の再配分」のサイクルに陥らないためには、徐々に規制の網の目の細かさをインド型から中立型にシフトしていく必要がある。そうしないと、富 を生んでくれる新産業が発生しない。とはいえ、官庁が肥大しているうちはこの実現は難しい。

 どこかの段階で、官僚の人数を減らしていく施策が必要になる。特に産業育成という意味では、自治体の肥大を抑えることがポイントだ。この意味では、大阪 府の橋下改革が、日本の未来の1つの試金石になる可能性がある。

 とはいえ、国内で富を生むのは日本の場合、限界があるだろう。人口が減少する社会というのは結局のところ、成長余地の少ない社会なのだ。目を、海外に向 けなければならない。


「米百俵の精神」で未来への投資を

 インド、中国の社会が貧困の再配分から脱出したきっかけの1つに、印僑・華僑の存在がある。
 国を出て欧米先進国に渡り、そこで優れた学業成績を修め、社会に出て成功し富を得た彼らは今、祖国に戻って新たに投資を行い、雇用を創出している。

 日本はこの海外における祖国人脈では、インド、中国には到底勝てない。実際、米国の大企業トップにはインド人がCEOになっているケースが散見されるの だが、日本人がそのような立場になるというニュースなど、まず聞いたことがない。あったとしても、せいぜい本社の役員として迎えられたというのが最高のポ ジションである。

 さらに言えば、起業家として欧米で成功している日本人はほんの一握りというのが現状だ。このように、海外から日本の成長をもたらしてくれるような人脈が ないというのは、日本にとってはハンディキャップである。

 結局のところ国内は高齢化し、人口が減少し、経済が縮小均衡に向かう。そのような環境下で、それでも再配分するための富を必要とするということは、何を 意味するか――?
 論理的に導き出される1つの解決策は、日本が“投資国家”になることである。

 ミクロな視点では以前、申し上げたように、日本にもまだまだ投資に値する企業がたくさん存在している。一方で、マクロな視点で話をすれば、今の日本には インドや中国、ドバイのように海外から巨額の資本を集めて社会を発展させるだけの若々しい市場が存在していない。
 
 だからマクロな視点で言えば、日本は「海外に富を求める国家」へと変わって行くしか方法がないのである。
 その意味で、注目に値するのは総合商社ではないか。

 未来に向け、より多くの投資の原資をひねり出して、次の世代に富を配分できるように準備する――そのような考えを浸透させていくことが、今の日本には重 要ではないかと僕は考えている。

2.第36回:あのフィリップ・コトラーが、キットカット受験キャンペーンを取り上 げる意味(8.29 nikkeibp)
関橋 英作
 このニュースは、既に知っている方もいらっしゃると思いますが、担当している者としては、素直にうれしい出来事です。
 ご存じのように、フィリップ・コトラー氏の「マーケティング原理」は、世界中のマーケッターの教科書的存在。直接、これを読んだことがない人でも、コト ラー氏の本は何らかの形で触れているでしょう。

 そのマーケティングの革命家が、なぜキットカットに注目したのか?その理由を知りたくてたまりませんでしたが、もちろん直接、質問する機会はありませ ん。 そこで、私なりに考えてみました。それほどコトラー氏のマーケティングを熟知しているわけではありませんので、間違っていたらごめんなさい。

 コトラー氏のマーケティングの核心は以下の三つではないかと解釈しています。
*脱固定観念、脱既成概念
*消費者を絞り込むこと
*消費者にとって喜ばしい価値提案をすること

 どうでしょうか?かなりざっくりですが、何よりも「消費者を知る」。これがコトラー流マーケティングの真髄ではないでしょうか。
 消費者は何を考え、何を望んでいるのか。しかも、ターゲットはできるだけ絞り込め、と言っています。平均的な消費者などは存在しない。散弾銃でばらまく のではなく、ライフル銃でしっかり一人ひとりを狙えと。

 そして、インターネットの普及によって、「力」はメーカーから流通、そして顧客へと移行。消費者は、自分の価値に合わないものには見向きもしなくなりま した。 
 それから、マーケティングは普遍的なものではなく、経済、文化の違う国では違うマーケティングをするべきだ、とも言っています。

キットカット受験キャンペーンが成功した理由は、五つです。

1.キットカットに新しい価値を創造した
2.消費者に直接語りかけるプロモーション手法をとった
3.グローバルに振り回されず、日本人のインサイトを重視した
4.クライアントと広告代理店が、真のチームとして機能した
5.非常識に挑戦した

 まず第1の理由ですが、それまでのキットカットの価値は、ウエハースが入ったチョコでサクッと食べて気分転換。つまり、物理的な機能に焦点が当たってい ました。逆にそれが、ビジネス的に限界を作っていたのです。

 コアターゲットである高校生にとって、知っているけどあまり意味のないブランド。お母さんが買って家にあるチョコレート。この状況を打ち破るには、情緒 的な価値が必要だったのです。それが、「ストレスから解放する」という新しい価値。キットカットは、初めて受験のお守りという価値を身に付けたのです。

 第2の理由は、それこそ消費者を絞り込んだやり方でした。マス広告とは全くの逆方向。しかも、第三者からのアプローチです。キットカットが直接表に出 ず、第三者が受験生を応援する。PR的な手法と言っていいかもしれません。

 例えば、受験のために上京した受験生がホテルにチェックインの際、カウンターの中にいるホテルマンから「受験がんばってください」の声と一緒に、キット カットとサクラ満開のポストカード(写真)を渡してもらうというもの。たったこれだけのことでしたが、たくさんの受験生から“ありがとう”のお手紙がクラ イアントに舞い込みました。第三者だからこそ、自分のことを応援してもらっているという気持ち、強く感じたに違いありません。

 このやり方は、その後、JR東日本、東大のお膝元・本郷三丁目商店街、受験当日の駅から受験会場まで送迎無料のタクシーと続き、それぞれの人たちから受 験生への応援の言葉が伝えられました。

3.「星野ジャパン」と姿重なる“ドコモ・ジャパン”(8.27  nikkeibp)
 菊池 隆裕
北京五輪が幕を閉じた。悲願のメダルを獲得した陸上の男子400メートル・リレーや、宿敵の米国チームを下して金メダルを奪取したソフトボールをはじめ、 選手たちの活躍には大いに興奮した。一方、本来の力を発揮することなくメダルを逃した野球の日本チームの結果には、特に応援していただけに残念だった。

 この野球で際立ったのが、予選リーグと決勝リーグで日本に連勝し、9戦全勝で優勝を飾った韓国チームの強さである。いくつかの報道で知ったのだが、韓国 ではこの1年、北京五輪での金メダルを目指して、国内リーグに国際ルールを導入してきたという。きっかけとなったのが、日本が優勝した2007年開催の第 1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での敗戦。その敗戦を受け、国内リーグでも国際公認球を使用し、国際採用されているストライクゾーンの 導入に努めたのだという。

 もちろん、これだけが勝因とは言い切れない。韓国選手には兵役免除というモチベーションがあるのも大きかったと思われるが、「世界一になる」という明確 な目標の設定が“掛け声”にとどまることなく、すみやかに「国際ルールと国内ルールの相違」という原因を特定し、迅速にルールを変えたマネジメント層の決 断、そして短期間で結果に結びつけた現場の実行力はさすがと言わざるを得ない。


国際ルールに適合した韓国

 このエピソードを聞いて、ここ数年における日韓のモバイル業界の取り組みの違いそのものではないかと感じた。韓国チーム=韓国の端末メーカーに置き換え てみると、サムスン電子やLG電子といった韓国の端末メーカーは日本勢に先駆けて国際市場への適応を図り、国際化に成功したと言えるからである。

 携帯電話の用途で音声通信が主流だった2000年くらいまでさかのぼると、日本メーカーも韓国メーカーも国際市場での存在感はほとんどなかった。その 後、携帯電話端末のマルチメディア化に伴い、韓国勢だけが急伸した。世界のトップメーカーになるという目標を掲げ、世界市場に技術的にも価格でも適合した 端末を投入した結果、上位に食い込んだのだ。

 もちろん、この間、日本メーカーも手を拱いていたわけではない。あるメーカーは国内での成功を引っさげて欧州市場へ、別のメーカーは中国市場へ展開しよ うとした。しかし、いずれも成功を収めることができず、撤退を余儀なくされた。

 日本メーカーの技術力は世界中の誰もが認めるところである。しかし、現実には受け入れられなかった。その理由について、元クアルコムジャパン会長で端末 事情に詳しい松本徹三・ソフトバンクモバイル副社長が、8月中旬に行われた日本外国特派員協会(FCCJ)主催の討論会で端的に説明していた。直接的に は、海外の通信事業者にとって日本メーカーが作った端末の価格は高すぎたことだが、松本副社長は「端末のアーキテクチャ(基本構造)を整理できなかった」 という日本のメーカーに共通する弱点を指摘した。

 今では改善に向かっているが、以前の日本メーカーは要求が異なる通信事業者ごと、そして機種ごとに機能をそれぞれ作り込んでいた。このため端末1機種を 開発するのに、開発コストは100億円もかかっていたのだという。仮にその機種が100万台売れたとすれば、1台あたりの開発コストは1万円になる。そこ に、部品コストや流通コスト、端末メーカーの利ざやを乗せると端末の店頭価格は簡単に5万円以上になるという計算だ。しかも、現在の日本では、年間の総販 売台数が4000万台くらいあるのに対して、機種数は100を超えている。1機種で100万台を売るのは容易ではない。

一枚岩だった“ドコモ・ジャパン”が崩壊

 野球とモバイルを比較したとき、星野仙一監督の手腕に期待し、相対的に選手の存在感が小さくなる「星野ジャパン」という日本野球チームの呼称には、通信 事業者に依存してきた日本のモバイル業界の姿が重なる。言うなれば、国内でシェア・トップのNTTドコモが端末メーカーを保護してきた護送船団「ドコモ・ ジャパン」である。親分には頭が上がらない体育会系の上下関係、「彼に任せておけば何とかしてくれるのではないか」と感じさせる“空気”も共通するところ だ。

 モバイル業界で長らく続いていたこの体制は、今後数年の間に、プレーヤーの多様化そして国際化の進展と共に大きく変わりそうだ。
 通信事業者を中心とするモデルは、過去数年には大きな成功を収められた。日本の通信事業者は、特定の端末メーカーとのつながりを強くして端末の企画に積 極的に関わる代わりに、端末メーカーが赤字にならないように一定量の買い取るというリスクを負ってきた。端末の買い換えが、通信料の増収につながることを 前提にしたモデルである。国内でのデータ通信事業の立ち上げに成功したNTTドコモが海外展開を積極的に押し進めたときにも、端末メーカーは共に海外進出 できることを期待したものだ。

 しかし、ここにきて通信事業者は国内の端末メーカーと距離を置き始めている。これは、国際的なモバイルビジネスのオープン化、すなわち、通信事業者以外 のプレーヤーが主導権を握ったビジネスが可能になっている「ビジネスモデルのオープン化」であり、通信事業者が世界中の端末メーカーから気に入った機種を 入手できるようになる「端末のオープン化」の流れに従ったものと言える。

 ビジネスモデルのオープン化では、米アップルがiPhone向けアプリケーションの流通課金モデル「App Store」を構築したり、米グーグルがモバイル環境からのインターネット利用場面を増やすことで広告媒体としての価値を高める戦略をとっていることが挙 げられる。


決断を迫られる端末メーカー

 アップルやグーグルのような新規参入者があっても、従来の通信事業者主導のモデルはなくなるものではなく、並存できるものである。例えば、電子マネー付 きの「おサイフケータイ」を推し進めるNTTドコモの例がある。NTTドコモは、おサイフケータイ機能付きの機種を販売することにより、携帯電話によるク レジット収入を増やすことができる。

 しかし、総じて見ると、現在は通信事業者が端末開発のリスクを減らしているように見える。NTTドコモとKDDIは、販売代理店に支払ってきた端末の販 売奨励金を廃止し、しかも「メーカーから買い上げる端末台数を絞っているようだ」(販売代理店)という声も聞こえてくる。従来とは一転、端末メーカーへの 関与の度合いを減らすと同時に、端末の開発に大きなリスクは負わないという姿勢に転じた動きだ。

 この方針転換によって、端末メーカーの淘汰が進むものと見られる。というのは、以下のように国内の端末市場が急減しているからである。まず、販売奨励金 を廃止することにより、販売店の店頭からは「0円」「1円」といった極端に安い端末が姿を消した。月々に支払う通信料金は従来よりも安くなるものの、端末 への支払い総額としては5万円以上になる。結果として、端末を選別するユーザーの目は厳しくなった。同時に、長期の割賦を選ぶユーザーが増え、購入サイク ルが長期化した結果、販売台数が落ち込んでいるというわけだ。2008年4〜6月期は、前年同期に比べて販売台数が20%も落ち込んでしまった。

 一方で通信事業者は、海外メーカーの端末であっても、ユーザーに売れると判断すれば積極的に販売する姿勢を明確にしている。ソフトバンクモバイルが7月 から販売を始めたiPhone、NTTドコモが販売している「PRADA Phone by LG」(PRADAとLG電子の共同開発)はその典型例だ。ただでさえ多くのメーカーがひしめいている市場に、新たな参入者が入ってきたのである。

 こうした状況もあり、端末メーカーはここに来て何らかの決断を下し始めた。三菱電機のように早々に撤退を決めたメーカーもあれば、シャープのように海外 市場に進出することを表明したメーカーもある。通信事業者との距離が開いて自由度は大きくなったが、それだけに事業リスクも大きくなった。これが、端末 オープン化の現実である。

 国内の端末メーカーや通信事業者の過去の取り組みを振り返ったとき、「国内で成功したプレーヤーが世界への挑戦権を得られる」と考えていたように思え る。しかし、冒頭に紹介した韓国勢、そして新たに参入したアップルやグーグルにみるように、モバイル市場への新規参入者は、当初から世界市場を念頭にビジ ネスモデルを組み立てている。彼我の違いは非常に大きく、ますます広がっているように見えて仕方がない。世界公認球を迅速に取り入れた韓国野球チームが北 京五輪で大活躍しているのを見ながら、その思いを強くした。

4.希薄な目的意識と、時間単価の“共犯関係”(8.29 nikkeibp)
システムエンジニアの時間給は5年で約14%減

 給与や賞与の合計額を労働時間数で割った時間給。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を基に、2002年を100としてシステムエンジニアの時間給を 算出すると、2007年は86.3にまで下がっている。プログラマーの時間給も同様で、2007年は86.7となる。デフレが進んでいるとはいえ、全産業 では2002年の100に対して2007年は92.5だから、IT関連の落ち込みは目立つ。IT(情報技術)による生産性向上が付加価値を生んで労働対価 を押し上げる――。そうはなっていない現状が浮かび上がる。


 打合せが長引きがちで、タクシーを利用することが少なくない。渋滞して料金メーターが回るたびに心の中で小さなため息をつくのも事実だが、最近はそうひ どい渋滞に巻き込まれることもあまりなく、一応納得できる。

 昔から肩こりがひどく、時折マッサージを受けている。都内だと10分につき1000円前後。1時間も受けるとちょっとした贅沢となってしまうが、終わっ た後は肩が軽くなり、満足度は高い。
 タクシーやマッサージのように、時間をかけることで一定の成果が得られるサービスなら、時間単価でチャージされることに違和感はない。反対に、時間を費 やしても本当に成果が得られるか分からないサービスでこのビジネスモデルを適用されると、ユーザーとしては気が気でない。何をいまさら、と言われそうな当 たり前の話だ。

 ところが、そんな当たり前がまかり通らない世界が、日本の企業社会にはある。例えば政府系のプロジェクトでは、業務の中身に関わらず単価と工数による見 積もりがベースだし、システム構築の世界でも同様の姿をしばしば見かける。かくいう“流しのコンサルタント”たる私も、一曲いくらではなく、時間単価で動 くことがままある。

 調査業務のように、一定の時間を費やせば、前に進む性質の作業なら、まだ理解はできる。だが経営戦略の立案や、事業の売却・買収のような、時間と成果の 相関性が低い業務の場合、少なくとも時間単価だけで考えるのは無理がある。それでも、時間単価とそれ以外の方式(固定の報酬や成功報酬など)を組み合わせ るようなビジネスモデルが受容されるケースは多くなく、相変わらず時間単価と工程数が跋扈しているのが現実だ。

 こうした状況に陥る理由として、まずユーザーの側でゴール(やりたいこと、達成したいこと)が明確になっていないことが挙げられる。それこそ「何を、な ぜ、どうやって?」というごく一般的な“5W1H”の問いでさえも、定かでない。大抵はどこかで自社都合が含まれていたり、何らかの背景や制約条件が目的 に先立っていることが多い。しかも請け負った側は、当初はそれを教えてもらえず、後になって進捗が滞ってからデッドロックとして表面化する。

行き先を告げずにタクシー乗りますか?

 ゴール不在とコインの裏表の関係にあるのが、プロジェクトの価値評価の曖昧さという問題である。ゴールが定まっていない以上、そのゴールに対する価値評 価もできない。価値が分からない以上、それにどれくらいのコストを費やせばいいのかも分からない、ということである。つまり、原価計算ができないのだ。

 冷静に考えると、ヘンだと思う。要は、タクシーに乗ったはいいが、行き先がはっきりしないまま走り出しているようなものである。メーターは回っているけ れど、最終的にいくら取られるか分からない。本当に乗客としてそれで不安はないのだろうか。

言うまでもないが、こういった類のプロジェクトは、大抵失敗する。私自身、これまで様々な案件を経験してきたが、成功するプロジェクトは例外なく主体的に ゴール設定が明確化されており、反対に失敗するものは曖昧だった。

 こうした経験から、目的意識の希薄さに端を発する様々な問題と時間単価というビジネスモデルは、一種の“共犯関係”にあるという結論に私は達している。

 ゴール不在の状況に、時間単価の考え方は馴染みやすいのだ。目的意識が希薄でも、「とりあえず○○さんあたりを、△△時間くらい囲い込む」という時間単 価の考え方を持ち込むと、ひとまず「なんとなくのプラン」が生まれるのである。また場合によっては、その○○氏の能力・評判によって「なんとなくの説得力 や信用」さえ発生させてしまう(連載の第2回目で指摘した「プロマネ・プロデューサー待望論」の一種である)。

 この「なんとなく」が発生する傾向は、IT(情報技術)システムの構築を伴う業務に比較的目立っているように思う。おそらく、情報システムはその要素と なるハード、ソフトの価格が分かりやすいため、詳細な目標設定や事業設計をせずとも、「なんとなく」がさらに「それらしく」見えてしまうのだろう。

 しかし検討が進めば、中身は明確化してくる。すると、自分たちが作ろうとしていたシステムについて、予算の過不足はもちろん、そもそもの必要性や可能性 (身の丈にあっているか、など)が見えてくる。ところがプロジェクトは既にスタートしている以上、この時点で全面的な見直しを余儀なくされたら、そこまで の稼働はサンクコスト(回収できない費用)としてすべて捨てざるを得ない。当然の帰結とはいえ、悩みどころだろう。

 それでも、勇気をもって途中で引き返せるなら、立派だ。実際には、最後まで問題から目を背けたままプロジェクトを進めてしまい、まったく使いものになら ないITシステムが出来上がる。こんな話は、残念ながら枚挙に暇がない。最近ではユーザーとシステム構築に携わったベンダーの間で訴訟にまで発展すること さえもあるようだ。

 結論としては、ユーザー自身が意識改革し、自らマネジメントしていく姿勢を明確にしていくしかないと思う。すべての起点はユーザー側にある以上、そこが 率先して変革するのが筋というものだし、ユーザーの意識が高まらない限り、ベンダーも変わらないはずだ。

 その時に時間単価というビジネスモデルだけでは、おそらくプロジェクト全体はマネジメントしきれないはずだ。それにユーザー自身が何を達成したいのかを 明確にできるようになれば、時間単価などのビジネスモデルも含め、おそらくソリューション実現の方法や調達そのものを大きく変えられるだろう。

5.広がるGoogle1社支配への危機感 ――Search Engine Strategies (SES)サンノゼより(8.29 nikkeibp)
「Search Engine Strategies」(通称SES)と呼ばれるイベントをご存知だろうか?
 これは「検索エンジンをマーケティングに活用するための戦略」について、業界関係者が集まって議論をするカンファレンスで、モーターショーのように、世 界の主要都市で開催されている。中でも、米国シリコンバレーの中心地であるサンノゼで、毎年8月に開催されるSESは、期間も4日間と長く、SESの中で も最大規模のイベントである。2008年も8月18〜22日に開催された。

 今年のSES全体に共通していたテーマを挙げるとすれば「Googleの次に来るものは何か」と「オフラインやディスプレー広告の再評価」という2点に 集約されるだろう。
 周知の通り、米国では検索連動型広告がネット広告費の約41%と最大の割合を占める一方、全検索数の60%以上はGoogleから行われている。

 さらに、検索数で約20%のシェアを持つYahoo!までもが、Googleから検索連動型広告の配信を受けると発表したことで、米国においてネット広 告を出すことは、Googleに広告を出すこととほぼ「同義」になりつつある。

 検索連動型広告市場がGoogle 1社に支配されることに危うさを感じ始めた広告主と、このままではビジネスの機会を失いかねないほかの検索エンジンやネット広告事業者たちが、 「Google以外に頼れるもの」を巡って議論を重ねたというのが、今年のSESにおいて非常に特徴的な点であったといえるだろう。


「Google以外に頼れるもの」とは?

 SES初日には「What Next?」というトラックが設けられ、検索ユーザーの意図や背景を理解しようとするセマンティック技術や、ブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキン グ・サービス)などのソーシャルメディアを活用した広告サービスの可能性が論じられた。その背景には、こうした新たな技術やサービスが広がることで、ネッ ト広告におけるGoogleの支配力が相対的に弱まるのではないかという「期待」があるのは言うまでもない。

 今後、Googleに取って換わる企業やサービスは現れるのかというテーマで熱い議論が交わされた。

 具体的には、
・莫大(ばくだい)な人的・経済的資源をもつマイクロソフトでさえ、いまだなし得ていないことを、ほかの企業にできるはずはないだろう?

・複数の有力企業による「競争状態」こそが資本主義の正しい姿だといいながら、どうして検索業界のことになると、「Googleに勝てないなら、存在する 価値が無い」といった極端な議論になってしまうのか?

・中国や日本ではGoogleが覇権を握っているとは言えないが、だからといって、中国最大の検索エンジンである百度(Baidu)が「Googleキ ラー」ということになるのか?

など議論が百出する中で、1時間の討論はあっという間に時間切れとなってしまった。裏を返せば、費用対効果やリーチの点で、検索よりも優れた広告手段とし て、全員の意見が一致するような技術やサービスは現時点では見当たらない、とも言えるだろう。




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