週間情報通信ニュースインデックスno.620  2007/09/01

1.“ハンズから”起業した、流しのはん こ屋さん(8.31 nikkeibp)
 彼女ははんこ屋だ。 だが、ふつうのはんこ屋とちょっと違うのは、その場ではんこを彫る“流し”を生業としていることだ。流しだから、当然、店舗を持た ない。彼女が出向いたそこが工房であり、出店になる。
 彼女が商売をするのは、フリーマーケットの一画や縁日、ギャラリー、イベント会場が主になる。広さにすれば、わずか1畳足らずのスペースが彼女の持ち場 だ。
 行く先々で、彼女は“はんこやまなさん”と呼ばれている。本名は田中眞那美(たなか・まなみ)だが、田中さんでも眞那美さんでもない、まなさんなのだ。 皆がそう呼ぶから、私も同じように呼ぼう。
 流しのはんこ彫りなどと言うと、思い浮かべるのは縁日や祭での露天商や的屋だ。大道香具師である。故渥美清が演じた“寅さん”のイメージがあるから、お そらく気っ風のいい姐御肌のひとだろうと思っていたのだが、まなさんは印象は想像とはずいぶん違っていた。むしろ物静かで華奢な感じのする女性だ。
「30歳のとき……、10年前ですよね。趣味ではんこを彫ったりはしていたんですが、いきなり商売にしちゃったんです。だから、わたしの流し歴も10年に なるんです」

 もともとは、テレビ番組の制作会社に勤めていた。料理番組の担当だ。勤続年数は4年だが、辞めてからは就職もアルバイトもせず、1年のあいだ、ほとんど 毎日のように映画館に通い詰めた。 その後、フリーター生活を2年。それからデザイナーとして出版社に中途採用され、雑誌の編集に携わる。
「これがわたしのいけないところなんでしょうけど、ずっとデスクワークばかりやっていると、身体を動かす仕事をしたくなるんですよね。それで――」

 給食婦に転職した。思い切った転身だ。  ところが、身体を使う仕事を続けていると、今度は机にじっと座る仕事に食指が動く。それでまた出版社に戻っ た。製作会社、映画館通い、アルバイト生活、出版社、給食婦、そしてまた出版社勤務と、まなさんはかなり振り幅の激しい20代を過ごしたことになる。はん こを彫りはじめるのは、このあとだ。

 きっかけは些細なことだった。 ギャラリーを無料で貸し出すという告知があり、友人が応募したら当選してしまった。ダメもとの応募だったこともあり、何 のプランも持ちあわせていなかったが、せっかくの機会だから皆で出展しようという方向で話がまとまった。

「お友だちはそこで研究発表をしたり、自分で撮った写真をパネルに引き伸ばして展示したりしたんですが、わたしには出展できるようなものは何もなく て……、とりあえず東急ハンズに走ったんですね。何かつくって出せばいいだろうくらいの軽い気持ちだったんです」

 1日かけて、すべてのフロアを見てまわったという。 そこで出合ったのだ。はんこと。 「直径が約2センチで、長さが1メートルちょっとの円柱になった 木材があって、面白いなって思ってたんです。別の階に行ったら、やっぱり直径2センチくらいのゴム版が売っていて。まてよ、と思って両方を買って、くっつ けてみたらぴったり。これではんこがつくれるじゃないかと」

 はんことの出合いは、偶然の賜物だったのだ。

 だが、結局、まなさんは自作のはんこを出展しなかった。作品をつくるより、はんこを彫るほうに熱中したからだ。だから、作品を出展する代わりに、友人の 名前を彫ったはんこをパンフレットにぺたぺたと押した。皮肉にも、そのはんこが来場客の人気を集めてしまう。

「来てくれたお客さんのひとりが、こういうの面白いから表参道で売ってみたら、と言ってくださったんです。それで、すぐ表参道に行ったら……、本当に売れ たんです。あのときは一本300円で売ってたと思いますけど」

  流し稼業は出だしから大繁盛だった。それどころか、評判が評判を呼び、あちこちのフリーマーケットや催し会場から声がかけられるようになった。いまま で、一度として営業活動をしたことがないのだという。10年このかた、ずっと引っ張りだこなのだ。

 1畳ぶんの座るスペースさえあればはんこは彫れる。身も軽い。だから、どこへでも出かけて行く。出版社を辞めて流しのはんこ彫りを本業にするまで、そう 長い時間を必要としなかったというのもわかるような気がする。

 だが、まなさんには、いわゆる師匠はいない。そもそも、流しのはんこ彫りを生業にした先人がいないから、値段にも相場といったものがないのだ。趣味感覚 ではじめたはんこ彫りだけに、すべてが独学と工夫の連続だった。


 まなさんがつくるはんこの値段は、1本800〜1000円がおおよその目安になる。
 私は、目の前で自分のはんこがつくられる模様が見られて1本1000円なら安いし、縁日気分も味わえて楽しいと思えるのだが、なかにはその1000円を 高いと感じる客もいるらしい。

「わたしのつくるはんこを高いと感じるかどうかはお客さん次第ですが、わたしは遊び感覚で楽しんでもらいたいんです。ゴム印だから実印に使えるわけじゃな いし」

「お客さんとのおつきあいはだいたい15分くらいですが、その15分を楽しくやり取りしてはんこを完成させたいなと思っているんです。それでわたしのつ くったはんこを気に入ってもらえたら、嬉しいですよね」

2.伊勢丹、三越に求めた2条件(8.29 nikkeibp)
 銀行に白旗を揚げさせられた三越、そこにしたたかに攻め込もうとする伊勢丹――。
 百貨店業界4位の三越と5位の伊勢丹による経営統合劇を一言で表すとこうなる。

 「6カ年計画がわずか3カ月でおぼつかなくなるなら、残りの期間の計画は何の信頼性もない」。6月下旬、三越が発表した2007年3〜5月期(第1四半 期)の結果に、機関投資家などは厳しい批判を三越に向けた。 大手百貨店の中で営業利益率が1%台と最も低い同社は「三越ブランドルネサンス」と称する6 カ年計画を今年3月からスタートさせた。ところが第1四半期で早くもつまずいた。営業利益は11億2200万円、前年同期比で61.7%減と苦戦。第2四 半期に入っても厳しい経営環境は変わらない。日本橋本店の改装(2008年)、銀座店の大幅増床(2009年)、そして大阪への出店(2011年)を経て 新生三越を思い描いていたが、実現性が危うくなってきた。

 この業績不振に大きなショックを受けたのがメーンバンクの三井住友銀行。三越はこの10年近く、経営再建策を幾度となく打ち出したが、未達成の山を築い ただけ。三井住友銀行は昨年末、三越に実現可能な再生計画を強く求めた。こうして出来上がった6カ年計画のはずだったが、わずか3カ月も持たなかったの だ。

 三越が創業間もない頃から手がけた両替商が、後に三井銀行(現三井住友銀行)へと発展した。当然、親近感はある。同行首脳は「(三越には)問題点はある が、まだ問題企業ではない」と比較的、温かい目で見守ってきた。 しかし、遂に強権発動に打って出た。その指揮官は旧三井銀行出身、三井住友フィナンシャ ルグループ社長で、三越の社外取締役でもある北山禎介氏とされる。三井住友銀行首脳は「三越がご自身で決めたこと」と話すが、複数の関係者によると、三越 が6カ年計画のスタートダッシュに失敗した頃、三井住友銀行が三越に対して「伊勢丹と組んで再生を果たすべき」とのプランを示したという。メーンバンクの 意図は三越も分かっていた。

 事実上の最後通告だった。三越の石塚邦雄社長は伊勢丹の武藤信一社長と定期的に会合を持ち、三越相談役の中村胤夫氏と伊勢丹会長の小柴和正氏とも20年 近い交友関係がある。首脳同士の親和性が高く、交渉が進めやすい土壌があった。ちょうど同じ頃、北山氏は親しい取引先にこんな発言をしている。「日本の百 貨店は独特な商慣習がある。海外の百貨店や(百貨店経営を知らない)ファンドなどが手を出せるものではない」。

 三井住友銀行には流通企業の再建で苦い経験がある。大口取引先のダイエーは、自主再建にこだわって迷走した。三越が自主再建を貫くことで、ひいては自身 の企業価値を損ねることを懸念したのだ。三越の不動産価値に目をつけたファンドも、固唾をのんで見守っている。三井住友銀行は三越ブランドを守るためには 伊勢丹の力を借りることが現状では最善の策と判断した。

 7月に入り、三越の提携申し入れを水面下で受け取った伊勢丹の営業部門は当惑した。「社風が異なる。老舗としてプライドの高い三越が伊勢丹流の仕事の仕 方を受け入れるとは到底思えない」と否定的だった。

 しかし伊勢丹の企画部門の見方は違った。千載一遇のチャンスである、と。「勝ち組」とされる伊勢丹にもアキレス腱がある。新宿本店が利益の約7割を稼ぎ 出す偏った収益構造だ。三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)出身で伊勢丹会長だった向井重陽氏の口癖は「本店に(火災など)万が一のことがあれば伊勢丹はひ とたまりもない」。

 三越のドル箱店舗は日本橋本店、銀座店、名古屋栄店。いずれも伊勢丹が未出店の場所で、三越をテコに新たな成長戦略が描けると読んだ。
 ただ、伊勢丹には絶対に譲れない2つの条件があった。1つは顧客管理の会員カードシステムと販売情報管理システムを三越が完全に採用することだった。

 伊勢丹は地方百貨店や電鉄系百貨店への経営支援では、伊勢丹式の情報システムを必ずと言っていいほど導入させてきた。消費者情報を把握するカードと売れ 筋商品をいち早く把握する販売情報の両輪がかみ合わないと伊勢丹流の店舗運営は不可能だからだ。

 もう1つは統合比率の決め方。三越の6カ年計画に盛り込まれている大規模改装、大幅増床、新規出店など将来の収益予想を統合比率の参考にしないことだっ た。わずか3カ月で信憑性が大きく揺らいだ三越の収益計画は鵜呑みにできない、というわけだ。

最大のハードルはプライド
 伊勢丹内部では8月上旬までは「三越側が条件をのむのは難しいのでは」といった空気が支配的だったという。統合比率が対等以上でないと三越が伊勢丹にの み込まれることが白日の下にさらされる。「お帳場」と呼ばれる顧客管理を脈々と受け継いできた三越にとって、伊勢丹システムの導入は三越の仕事自体を否定 されるに等しい。「最大のハードルは三越のプライド」と語る交渉関係者もいるほどだった。

 ところが、伊勢丹が三越から受け取ったのは、ほぼ満額とも言える回答だった。統合比率については、交渉が不調に終わった瞬間、三越は友好的、敵対的を問 わずファンドの攻勢に遭うことが明らかだった。

 さらに伊勢丹を驚かせたのは、システム導入に三越が異議を申し立てなかった点だった。伊勢丹幹部はこんな感想を漏らした。「三越さんは伊勢丹のシステム のすごさを理解していないのでは。お帳場と融合できると甘い考えを持っているのではないか。

3.突撃!グーグルの昼ごはん(8.28 nikkeibp)
 ウェブも広告も、ここを外しては未来は語れないGoogle(以下グーグル)。その社員食堂に行ってきた。以来、メールも検索も広告が微 妙に私の食の好みにシンクロしているような気がする…気のせいだろうか。という使い古しの冗談はさておき早速ご報告!

 グーグル本社はマウンテンビューの町から車で高速101号を渡ってすぐ。元海軍基地のNASAエイムズ・リサーチ・センターや企業のビルがポツリポツリ あるだけなので、用のない人が踏み込む場所ではない。せっかく寄るのだから、誰でも知ってるグーグルの基礎をササッと復習しておこう。

 まず、「Google」という社名だが、1に100個ゼロをつけた101桁の数「Googol」のミススペルであることはよく知られている。スタン フォード大の人が学内の人たちに聞いてまとめた解説によると、創業者コンビが1997年9月ごろ、研究室の仲間と社名をブレインストーミングした際、 「Googolplexはどうか」とショーン・アンダーソン氏が提案し、ペイジ氏が乗り気になって、それを縮めたGoogolでドメインの有無を確認した が、たまたま端末の前にいたアンダーソン氏が間違えて打ったものがそのまま定着した。

 これからお邪魔する“Google”本社は10のグーゴル乗「Googoleplex(グーゴルプレックス)」とコンプレックス(ビル群)を掛け合わせ た造語で、通称「Googleplex(グーグルプレックス)」の名で呼び親しまれている。

 高速を越えて左折すると、急に三角のオレンジ色の旗を立てた、和風の前カゴ付き自転車にまたがる老若男女が目に飛び込んでくる。「この辺りからもう “グーグル村”ですね」とTechCrunch日本語版編集部の友だちA(以下“A”)。

 自転車はヘルメット着用義務のうえで、社員・訪問者が敷地内の移動に自由に乗っていい。ただし敷地から一歩でも出ると、籠を積んだ日本の銀行員みたいな 自転車は異様に目立つ。旗を立ててショアライン通りを市街目指して一目散に駆けてたらすぐ足がつきそうだ。鍵がついてないのも道理で、グーグル村から自転 車をくすねることはアルカトラズ島から脱獄するごとき難業なのだろう。これだけ大量にビル入り口に乗り捨てられているのだから1台や2台楽勝で確保できる と思いきや、「会議が終わったら1台も残ってなかった」なんてこともあるので油断がならない。

基本はタダで、食べ放題
 グーグル社食は3食タダで、スナックと飲み物は冷蔵庫・棚から24時間取り放題。敷地内にはマッサージもジムも床屋もビリヤードもビーチバレーコートも バスケットリンクもプールもあるので、会社に2年や3年缶詰めになったところで飢える心配がない。理論上は。

今回お邪魔したのは南国風のエスニック料理の「Oasis Cafe」
カリスマシェフもIPO長者となって独立
 「グルメの殿堂・グーグル」の名を一躍有名にしたのはカリスマシェフ、チャーリー・エアーズ氏の辞任のニュースだった。

 料理とロックをこよなく愛する氏は、ホテルの厨房、料理学校卒業を経てサンフランシスコ出身のグレイトフルデッドのお抱え料理長とたまたま知り合い、 「ステージがタダで見られるぞ」という夢のような条件に飛びついて助手としてツアーに同伴。やがてグループのコック長になった風変わりな経歴の持ち主だ。

 1999年11月、グーグル社員40人が審査員を務めた料理対決で見事シェフの座を射止め、社員第53号として採用された。ということは、2004年の IPO(新規株式公開)で推定約900人誕生したグーグルIPO長者の1人に数えられるわけだ。6年間にわたって1日4000食分の台所を総括し、「陰の CFO(最高フード執行責任者)」の異名をとったが、「自分のレストランをやりたい」と2005年5月に独立。グーグルが世界中に後継シェフ2人のサーチ 網を広げ、話題となった。

 氏が去ってからも、採れたての魚や肉、オーガニック野菜、時には東海岸から空輸で取り寄せるロブスターなど鮮度抜群の素材を多国籍な味覚に調理して供す 社食の伝統は、健在だ。

4.ニコニコ動画はYouTubeを超える(8.31 nikkeibp)
   ニワンゴが運営する動画投稿/コメント・サイト「ニコニコ動画(RC)」の勢いが止まらない。7月26日時点でID登録者数(ユーザー数)は200万人 を突破。8月13日には携帯電話向けである「ニコニコ動画モバイル」のユーザー数も13万人を超えた。ネットレイティングスが7月25日に発表した「『総 利用時間』による日本のウェブドメインランキング」では16位にランクインした。

 ニコニコ動画の利用にはID登録が必須。「YouTube」のように誰でもすぐに視聴できるサイトではない。さらに,現時点ではサイトの負荷対策のた め,ID番号による利用時間の制限も行われている。

 にもかかわらず前述の人気である。前身となる「ニコニコ動画(仮)」は2006年12月に,現在のニコニコ動画(RC)につながる「ニコニコ動画 (γ)」は2007年3月にスタートしたばかり。短期間でこれほどまでの人気を得た国内サイトはかつてなかったであろう。ちなみに,「mixi」は200 万ユーザーに達するまでに1年9カ月かかっている。

 ニコニコ動画には多くの興味深い側面があり,技術論,ビジネス論,文化論,コミュニケーション論,メディア論など,さまざまな切り口で“語る”ことがで きる。技術面を見た場合,大量のアクセスと動画のトラフィックをどのように処理しているのか大変気になるところだ。ビジネスの面で見れば,ニワンゴはニコ ニコ動画からどのように収益を上げてゆくのか?投稿される動画と「ニコニコ市場」の連動性,そしてプレミアム会員のビジネスの行方(ユーザーにQoSを提 供するニコニコプレミアムは,NGNを進めるNTTが大いに参考にすべきサービスだろう)など,今後の動向は要注目だ。

 そのような中で筆者が特に注目したいのは,ニコニコ動画に投稿される動画の“進化”のスピードだ。

 具体的に説明すると,ニコニコ動画には「盗んでいきましたシリーズ」や「キーボードクラッシャー」「組曲『ニコニコ動画』」,「アイマスMAD」といっ た人気シリーズがある。これらのシリーズにはそれぞれに様式美と呼べる動画編集のスタイルがあり,基本的にはそれを踏襲する形で新たな動画が生み出され, 投稿される。そして驚愕するのは,一つの様式美が出現すると,その様式美を踏まえ,改良し,新たな様式美を生み出してゆくプロセスが,極めて短期間のうち に進行する点である。持続的イノベーションから破壊的イノベーション,あるいは「守破離」のサイクルが,速い場合は数日間のうちに起こるのである。大げさ な表現になるかもしれないが,ニコニコ動画で現在発生している文化の進化スピードは人類史上最速であると言ってよいだろう。

 YouTubeの成功以降,世界中で無数の動画サイトが登場した。しかし,ニコニコ動画ほどその内容の密度が濃く,成功しているサイトは他にないだろ う。少なくとも国内では,新たな文化を生み出す役割やアクセスランキングなどで,ニコニコ動画がYouTubeを超える日もそう遠くはないはずだ。最近 は,台湾人や香港人,フランス人のユーザーも参入している。日本発のネット系サービスとして世界展開できる可能性は十分に高い。

5.日本通信、3Gデータ通信のMVNOでKDDIに相互接続を申し入れ(8.30  nikkeibp)
日本通信は8月29日、MVNO(仮想移動体通信事業者)として第3世代携帯電話(3G)のデータ通信サービスを提供するため、KDDIに 対して電気通信事業法に基づく相互接続を申し入れたと発表した。MVNOとは、携帯電話やPHSなどの移動体通信事業者から無線設備を借り、独自ブランド でサービスを提供する事業者のこと。

日本通信はKDDIとの相互接続により、日本と米国における3Gデータ通信サービスの展開を計画している。国内は、2006年10月にウィルコムのPHS と3Gのデータ通信をセットにした定額データ通信サービス「Doccica(ドッチーカ)」の提供を表明済み。NTTドコモにも相互接続を申し入れ済みで ある。ただし、現状は協議がまとまらず、総務大臣の裁定を求める申請を提出している。



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