昨日は仕事を午前中で切り上げて、午後から上野の東京都美術館へ「田中一村展」を観に行きました。 私は特に絵が好きではないのですが、妻がチケットを取ってくれたのでついて行きました。
田中一村を知ったのは数年前に「何でも鑑定団」に奄美大島の旅館の女将が作品を出品したからです。 1908年に栃木で生まれ、1977年に奄美大島で亡くなった日本画家です。
日展や院展に応募するも入選できず、最後まで中央画壇に認められませんでした。 50歳で単身、奄美大島へ移住。 60代になっても生活費と絵具代をかせぐために染色工として働き、お金がたまったら仕事を止めて絵に専念する、といった生活を続けていたようです。
個展が開かれたのは亡くなった後。 広く知られるようになったのは1984年にNHKの日曜美術館で紹介されてからだそうです。
「田中一村展」の展示は東京時代、千葉時代、奄美時代と3区分されて、かなりの数が展示されていました。 奄美時代(晩年)の作品が有名だそうですが、私は21歳の時に金屏風に描いた椿の図が若々しさがあふれていて一番きれいだと思いました。 奄美時代の絵は一村の生き様と重ねて観るとすごさを感じます。
展示を観るのに2時間あまりかかり、美術館を出るとちょうど夕食時でした。 横山大観が作った韻松亭という料亭が歩いて5分ほどの場所にあるので、行ったのですがあいにく予約で満席。 上野の山を下って、不忍池のほとりにある伊豆栄(いずえ)という鰻の店に入りました。 久しぶりでしたが、鰻はあいかわらずおいしかったです。
やっとガラパゴスからの脱出を始めたドコモ
11日(金)の日本経済新聞の1面トップに「ドコモ、国産優先を転換 基地局富士通から海外製」という記事が載りました。 やっとドコモもガラパゴスから脱出するのか、と思いました。
ドコモが仕様を決めて、NECや富士通など国産メーカーが「ドコモにしか売れない」基地局を作る。 そんなことを何10年も続けて来たのです。 まさにガラパゴス。
エリクソン、ノキア、サムスン、ファーウェイは世界中のキャリアを相手に膨大なコア設備や基地局を販売し、莫大な研究開発費を投資してさらに優れた製品を投入する。 ドコモだけにしか売れない国産メーカーに対抗できるわけがない。
それでもドコモはやせ我慢を続けていたのですが、遅い、つながらない、といったユーザーに実害を及ぼすようになってやっとふんぎりがついたのでしょう。 遅きに失するとはこのことです。
不思議なのは富士通と同様、ドコモの仕様で作っているNECが置換の対象になっていないことです。 なぜでしょう?
あと気になるのはコアネットワークです。 基地局はKDDIやソフトバンクと同等の製品に置き換えるとして、コアネットワークは対抗できるものになっているのでしょうか?
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