間違いだらけのネットワーク作り(544)2008/07/05
「コクヨのNotes移行」

 昨日、会社帰りに高田馬場の書店で、「岡本太郎と太陽の塔」(小学館クリエイティブ)という本を買いました。  太陽の塔は40代後半以上の人でないと 知らないでしょうね。  1970年の大阪万博のシンボルとして作られたもので、今も万博記念公園に70メートルの威容をほこり、「ここで万博があったん だぞ」と言わんばかりにたった一人で立っています。  万博会場には巨大なパビリオンが建ち並んでいたのですが、それらはすべて撤去され、太陽の塔だけが 残っているのです。

 大阪に出張して伊丹空港からモノレールに乗ると、万博記念公園駅のところで車窓から見ることが出来ます。  中学2年のときに万博を経験した私はなつか しさもあって、この本を買ったのですが、これまで太陽の塔のコンセプトも、岡本太郎さんのこともまったく知らなかったので、とても新鮮に読んでいます。   万博以後に生まれた世代の人が読んでも、私と同じ感想を持つでしょう。 岡本さんが当時書いた文章から一部引用してみましょう。 

 「万国博に賭けたもの」 岡本太郎

 ”私は「ベラボーなもの」をつくると宣言した。 日本人は勤勉で純粋だが、底抜けの豊かさに欠けていると思うからだ。 1970年を境に、新しい日本人 像が出現したら。 どんなに経済成長をしても、うまく立ちまわっても、それだけではつまらないではないか。 ふくよかな、幅のひろい人間的魅力が欲しい。  象徴的に「ベラボーなもの」をつきつけたのはその意味だ。”

 ”ベラボーさは今までの日本では軽蔑され、ほとんど発顕されなかった。 だからこそ、あえて公言した。  日本人一般のただふたつの価値基準である西欧 的近代主義と、その裏返しの伝統主義、それの両方を蹴とばし、≪太陽の塔≫を中心にベラボーなスペースを実現した。 集まって来た人が「なんだこれは」、 と驚き呆れながら、ついつい嬉しくなってにっこりしてしまうようでありたい。  
  もし、このような投企が、日本人の心の奥底に秘められているヴァイタリティーをよびさまし、1970年以降の日本の人間像の中に、たとえわずかなキザ シでも、平気で己れを開き、野放図にふくらむ精神が現れてきたら・・・私の万国博への賭けは大成功である。”

 太陽の塔を「底抜けの豊かさとヴァイタリティーにあふれる日本人」に変わるきっかけにしたかった岡本さんの意図がよく分かります。  40年近くたった 現在、日本人は岡本さんが望むように変われたでしょうか。 答は誰にも明らかですね。  少子高齢化、低成長、世界の中で取り残されそうな委縮した日本。   なんだか、状況は悪くなっているように思います。 だからこそ、万博を知らない世代の人にもこの本をすすめます。  元気が出て、太陽の塔に会いに行 きたくなると思います。  私もモノレールの車窓からでなく、塔の目の前に立って、その巨大さとベラボーさを体感したくなりました。 ちなみにこの大仕事 をしたとき、すでに岡本さんは59歳でした。 

「コクヨのNotes移行」
 
 私はコンバ インド・コミュニケーションの中核としてオープンソース・ベースのメール/グループウェアを推進しており、Notesからの移行も手がけていま す。 Notesから移行したいという引き合いも多いので、他社の事例を勉強するため今週月曜日にコクヨさん(正確にはコクヨ・グループのICTを担って いるコクヨビジネスサービス)の講演を聴きました。 コクヨさんはNotesから別のグループウェアへ移行中なのです。 50分の講演での感想を一言でい うと、「Notes移行のメリットが明確に感じられない」ということです。 理由は次のとおりです。

@移行に長期間かかっている
 ・2005年1月にNotesから他のグループウェア(という呼び方が適切かどうか分かりませんが)へ更改することを決定
 ・2007年8月メール切替完了(ノーツメール停止)
 ・2008年10月ノーツサーバ停止(予定)
 予定通り、今年10月で移行が完了したとしても移行に4年近くかかることになります。  その間、Notesと新しいグループウェアを併用するため、 Notesだけを使っていた時と比較して直接的・間接的運用コストは大きくならざるを得ないでしょう。  経済性という観点で見たときに、Notesを使 い続けた場合と比較してメリットが出たのでしょうか。

ANotesをNotesライクなものに移行している(エンドユー ザ・コンピューティングを許容するという点で変わりがない)
 
NotesはエンドユーザがDB(データベース)を作って、ワークフローを含むアプリケーションを開発できるエンドユーザ・コンピュー ティングが特徴です。  結果、情報システム部門がコントロール出来ないアプリケーションがほうぼうで作られ、作った人が転勤したり、退職すると誰もメン テナンス出来なくなる。 かといって、日常業務で使っているので捨てられない。 Notesを移行する際の最大のネックは、エンドユーザ・コンピューティ ングで作られたAPが捨てられないし、中身が分かる人がいないので移行が難しいということです。

 「エンドユーザ・コンピューティングのワナ」だな、と思いました。  あるツールを使って、エンドユーザがAPをたくさん開発する。  それが足かせに なって、そのツールの料金が高くなったり、機能に満足できなくなって別のツールに移行したくても移行できない。

 コクヨさんは覚悟をして移行を決めたのですが、新しいツールも○○DBという名前で、エンドユーザ・コンピューティングを許容するものなのです。  コ クヨさんはNotesを捨てる理由の一つとして特定メーカーに縛られたくないということを言っていましたが、コントロール不能で誰もメンテナンスに責任を 持たないエンドユーザ・コンピューティングを許容する限り、特定のメーカーの縛りから、新しいツールを提供する「特定ソフトベンダー」に縛られるようにな るだけではないでしょうか。

B新しいツールを提供するソフトベンダーの継続性を確認できない
 
グループウェア、とくにエンドユーザ・コンピューティングを許容するものはまさに企業のIT基盤です。 そのツールを提供する企業が事業 を止めてしまったりしたら大変です。  コクヨさんが採用したツールを開発している会社を知らなかったので、ネットで調べました。  社員数も、売上も、 利益が出ているかどうかも分かりません。  99年にジャスダックへ上場することが決まっていたようですが、取りやめになったようで今も非上場です。   有名な企業で使われたとしても、利益が出ているかどうかは別の話です。 IT基盤を移行するといった重要な決断をするにはベンダーの財務基盤を確認するの は当然のことなので、たぶん大丈夫なのでしょうが、公開されている情報では確認できません。 

 いずれにしても、コクヨさんがNotesの移行にチャレンジしているのは素晴らしいことだと思います。  私もNotesにOSSベースのメール/グ ループウェアで挑んでいるので、お互い頑張りましょう、という感じです。  成功のカギはエンドユーザ・コンピューティングをどう扱うか、にあると思いま す。

 この講演で一番面白かった話。 コクヨはなぜ、コクヨというのか。 「国の誉(ほま)れ」の音読みだそうです。  国は日本のことではなく、創業者の出 身地である越中富山です。 

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